【概要】 在帝① 在帝(Arkと呼称)はこれ以上膨大なものがないような物を越えた先に真在(真在>存在者を表す概念)する物である。世界(これ以上膨大なものがないような漠然とした物=一般論的な無限大)に存在する物=存在者に共通するものとして、一般的に、意思ないしは知能、何かを認知する物(知覚、認識、思考するような概念)が存在している場合、在る物を知覚したとして、その全容を知覚することは無い。それは、世界という無限大の何かに点々と存在する存在者は言わばそれも又無限大の存在的情報や要素を保有し、即ち無限大の無限大に近しい存在的情報や要素が存在している。 それぞれが持つ知覚、認識、思考するような概念の範疇は有限であり、その値が限りなく膨大になる事は無い。つまり、在る物を認識した時、凡ての存在的情報や要素を知ることが無いのは其れを認知する知覚、認識、思考するような概念の範疇が不足している為だ。(つまり、全知全能などと言われる神は全知で在る為無限大の知覚、認識、思考するような概念を持ち、凡ての存在的情報や要素を認識している) 存在者に於ける根本的な優位性ないしは上位性は存在しない。∵四次元、三次元、遥か高次元の上位存在的存在は存在者として存在しうるが、優位、劣位といった位階は存在者の知覚、認識、思考するような概念によって生み出された有限の範疇で発生した懐疑性を伴う空想である為だ。 ∴存在者同士に於ける戦争、論争、争乱等、はたまた超越、高次化、絶対化等は確かにその二者或いは多数の存在者間においてその場だけの優位、劣位性は発生しうるが、存在者の根本的観点から俯瞰してみればそれも又等しく同じ物であり、存在者の根底について根本的に何も言っていない事と同義である。 存在者は世に在る凡てであり、例外は存在しない。 言わばそれは「『存在者でない』存在者」であり、根本的に結局存在者として世に在る。 「神」は存在者として存在せず、所詮非存在である。 存在者は有限の知覚、認識、思考するような概念を保有し、それ以上でもそれ以下でも無い。∴無限大に近しい膨大な、かつそれ以上大きなものが無いような物がないような規模であり、其れを完全に知覚するには、まず物の知覚の条件として知覚、認識、思考するような概念>知覚する情報量であり、知覚、認識、思考するような概念は有限である。全知=凡ての存在的情報や要素を思考、処理済み である為、有限>無限大に近しく、これ以上膨大な物が無いような物となる為だ。この不等式は破綻しており、全知の条件に於ける「全知=凡ての存在的情報や要素を思考、処理済み」そのものが破綻し、全知全能の神は存在しない。 全能に於いても同様で、有限>無限大となる為破綻する。 その為、所詮全知全能を名乗る存在者は凡て等しく欠陥を抱えた物であり、それは真の全知全能で在らず、真全知全能で在る「神」は存在しない。(「7割知7能的なイメージ) 「存在的情報や要素」という物に於いて、「そこに在る要素」即ち、「何かによって認知される情報」である。存在的情報や要素は実に無限大に近しく存在するにも関わらず、知覚、認識、思考するような概念は有限である。よって、どんな存在者からも認知されず、「非存在」とほぼ同等扱いされる存在的情報や要素だって在る。在帝は無限大の世界を越えた先に存在し、またそれらを俯瞰する。実に、存在的情報や要素はその存在者が発生する時にそれを在帝に与えられて、あるいは与えられがら発生し、必然的に存在者に根本的な優位性を持つと共に、逆に言えば在り方、要素、形、色etc...存在的情報や要素を在帝に制定されていないもの、例外は存在しない。「存在的情報や要素」即ち「何かが認知する情報」、「存在者が認知する情報」と言える。よって、その情報が揺らげば必然的に存在そのものが揺らぐと言える。 (何もかも其れを知らない物という物は非存在である)
過去で一番長いかもねって思ったけど1600文字しかなかった 追記するかも