レゴブロックで作った架空艦艇です。 後ろの空母は他の作品で紹介します。 高速戦艦「飛騨」性能諸元 基準排水量:40525t 公試排水量:44490t 全長:225.5m 全幅:38m 吃水:9.15m 主機:IHILM2500IEC型ガスタービン×8基4軸 出力: 224000馬力 最大速力:39kt 乗員:1120人 航続距離:[機密]km 兵装: 主砲…41cm(16in)連装速射砲 2基 41cm(16in)連装両用速射砲 1基 副砲…12.7cm(5in)単装速射砲 2基 90式艦対艦誘導弾4連装発射機 6基 SeaRAM 近SAMシステム 2基 SeaRAG 近SAGシステム 2基 高性能20mm機関砲(CIWS) 2基 Mk.41VLS 320セル C4ISTAR:イージスシステム AN/SQQ-89対潜システム レーダー:SPY-1D 多機能型 AN/SPQ-9 対水上 OPS-20 航海用 10m光学測距儀 主砲照準用 Mk.99 ミサイル射撃指揮装置 2基 ソナー:OQQ-23ソナーシステム 電子戦:NOLQ-3 対抗手段:Mk.137デコイ発射機 6基 その他:OLQ-1 魚雷防御装置 1式 小ネタ・説明 41cm(16in)連装速射砲・41cm(16in)連装両用速射砲について 発射方式を半レールガン方式とし、自動装填装置、レーダー連動式の主砲照準を採用したのに加え後述する10m光学測距儀を使用して、装填に8秒しかかからず発射の初速が最大2500m/秒、最大射程は40000m、15000m地点で着弾予想点との誤差は10cm以下という高性能を実現しています。 SeaRAG 近SAGシステムについて アメリカと日本で共同開発した、SeaRAM 近SAMシステムの後継である、レールガンを搭載した近接対空火器です。レールガンを使用することでさらなる発射速度の向上が期待できます。その速さは3000発/分以上と言われています。 10m光学測距儀について 主砲発射用の測距儀です。レーダーの情報と測距儀の超高精度カメラの映像を組み合わせて目標の着弾予想点を20cm単位で指定して発射できます。 9枚目のモノクロ(白黒)写真について これは1945年7月18日に横須賀で空襲を受けて4番主砲が爆発した時の写真であると推定されます。 特徴 ・CIWSが無い。 ・VLSが無い。 ・3番主砲の位置が艦首に寄っている。 ・3番主砲の下にバーベットがある。 ・4番主砲と思われる残骸がある。 ・横須賀特有の山が見える。 ・写真がモノクロ(白黒)である。
高速戦艦「飛騨」艦歴 1918年8月4日に長門型戦艦の3番艦として横須賀海軍工廠で起工し、1921年の12月14日に竣工した。当時、ワシントン軍縮条約の影響で、未完成艦として廃棄される危機に陥ったが、急いで工事を行って完成艦として11月23日に海軍へと半分完成した状態で引き渡されている。 太平洋戦争では序盤は広島湾周辺で戦艦陸奥などと温存されたが、1942年のガダルカナル島の戦いでは、陸奥と共に前進部隊本隊として出撃する。しかし、25〜26ktほどの低速だった飛騨は本隊に随伴する速力が出せないため陸奥とともに艦隊の後方に残置させられることとなる。 ガダルカナル島の戦いで露呈した速力の問題を解決すべく、9月2日にトラック泊地に帰還してからは陸奥と別れ第七駆逐隊潮、漣、曙を護衛につけて9月8日に呉軍港へと到着する。その後、1942年9月21日から1943年1月10日までに速力を30ktまで引き上げるべく4ヶ月をかける大改装が行われた。 1月12日には陸奥らと共に横須賀軍港へと向かい、その後は陸奥と共に内地での待機が続いていた。 2月15日には陸奥と駆逐艦3隻を伴って瀬戸内海の桂島泊地に移動した。 6月8日、飛騨は柱島泊地に停泊していた。12時15分ごろ、共に停泊していた陸奥が突然大爆発を起こし、飛騨は「ムツバクハツス」の緊急電を打電した。このとき陸奥爆沈を目撃していた戦艦扶桑も「ムツバクチンス」との緊急電を打電している。 その後、陸奥が爆沈したことに対して厳重な箝口令が敷かれた。 それからは飛騨は陸奥と艦影が似ていたことから陸奥として国民に知られるようになる。この頃から海軍内では飛騨は高速戦艦として扱われ始めた。 その後は1944年7月中旬まで内地の泊地を点々とした後捷一号作戦の発令によってリンガ泊地へ移動して戦艦長門とともに第二艦隊に編入される。 10月下旬、飛騨は長門とともにレイテ沖海戦に参戦する。レイテ沖海戦では後部艦橋付近にアメリカ軍機の爆弾が命中し多数の死傷者が出たが、艦の航行に関わる大きな損失を出すことはなかった。 11月上旬には長門とともに第三戦隊に配属され、11月16日にブルネイから日本へと帰路に着いた。途中、艦隊は台湾海峡沖で米潜水艦からの魚雷攻撃を受け、戦艦金剛と駆逐艦浦風が沈没し、飛騨は1発魚雷を被雷する。 1945年2月20日、飛騨と長門、戦艦榛名は警備艦に指定され、戦艦大和が沈没すると6月1日から順次特殊警備艦となる。しかし、飛騨は防空砲台化されるのが7月22日の予定と遅く、煙突やマスト、高角砲などの取り外しが行われる前に空襲が訪れて、4番主砲が爆発し、多数の死傷者を出す。 戦後、飛騨はソビエト連邦に接収されるが、1991年のソ連崩壊を前に、1986年10月8日、横須賀にて副砲や高角砲などが取り外された状態で返還される。このときすでに4番主砲はバーベットの一部を残した状態でほとんど無くなっていた。 その後は海上自衛隊発足後、高速戦艦飛騨という名称そのままに、飛騨型護衛艦の一番艦として運用される。 艦橋は各部に日本海軍のパゴダマストの意匠を残しながら、イージスシステムなどに対応させるべく、艦橋の形を変更した。 また、高角砲などがあった部分には対空兵装を設置し、4番主砲跡にはVLSを256セル設置している。 また、試験的に対空兵装として小型レールガンを搭載しており、さらなる戦闘能力の向上が図られている。 こうして、戦艦飛騨は高速戦艦、護衛艦と肩書きを変えながら、日本の軍事に大きく携わっているのである。 参考:Wikipedia「長門 (戦艦)」、「陸奥 (戦艦)」 高速戦艦飛騨は架空の艦艇です。