天正3年(1575年)三河国の長篠城周辺で戦いが起こった。長篠・設楽原の戦いである。 織田・徳川軍の軍勢は約38000人程に対し、武田軍は約 15000人であったと言われている。この戦いで織田軍の 鉄砲隊や迎撃戦で武田軍の多くの武将が討死にした。 (参戦武将)※ここにいる武将だけ ※✞は討死した武将 【織田・徳川軍】 【武田軍】 ・織田信長(総大将) ・武田勝頼(総大将) ・羽柴秀吉 ・山県昌景✞ ・明智光秀 ・内藤昌秀✞ ・丹羽長秀 ・馬場信春✞ ・柴田勝家 ・真田信綱✞ ・滝川一益 ・穴山信君 ・徳川家康(総大将) ・本多忠勝 ・酒井忠次 ※他にも織田・徳川軍には鉄砲五人衆である佐々成政や前田利家などの武将もいた。長篠城には奥平信昌などの武将もいる。武田軍には土屋昌次や真田昌輝などの武将が参戦していた。
【長篠・設楽原の戦いの主な流れ】 ①武田軍が長篠城を包囲 ②鳥居強右衛門が使いとして徳川家康のもとに援軍を要 請するが、見つかり、磔にされて処◯される。 ③二日後に織田・徳川の援軍が到着(設楽原に着陣) ④徳川家の重臣、酒井忠次らが鳶ヶ巣山砦(とびがすやまとりで)を奇襲する。 ⑤武田軍が織田・徳川軍に攻撃を開始 ⑥武田軍の山県昌景、土屋昌続、真田信綱らが討死 ⑦織田・徳川軍が撤退する武田軍に追撃を開始し、馬場信春、内藤昌秀らが討死 【戦いの結果】 織田・徳川軍の圧勝 【その後】 長篠の戦いの7年後の1582年、織田・徳川・北条氏らが武田領国に侵攻(甲州征伐)その後武田勝頼は天目山で自刃し武田家は滅亡した。 【現在】 現在、戦いの舞台となった長篠城は日本100名城に指定されており、国指定史跡となっている。設楽原では馬防柵が一部復元されており歴史資料館が建っている。 【音源】 夜半の月 荒城 甘茶の音楽工房 神々の宿る場所 甘茶の音楽工房 故郷 甘茶の音楽工房