3. 大英帝国 「ブリテン島による文化支配の陽日が沈むことはない。」 「七つの海洋を制する者が、この星で一番強い。」 「パクス・ブリタニカ。」 ブリテン…(大略) 七年戦争に勝利したことで、イングランドの版図は世界中に及んだ。北アフリカを完全と言って良い風に制し、インドを支配した。傲慢なアメリカの独立派によって、アメリカを失うものの、その後もアフリカに強く進出し、世界分割を進めた。 七年戦争あたりで世界初の産業革命が勃発し、技術革新によって世界の工場とされる。 連合王国はパクス・ブリタニカを築き上げ、ナポレオンのフランス第一帝政などがこれを揺らがそうとするものの、ワーテルローの戦いで連合王国は勝利。大陸を制したナポレオンでさえも七つの海洋を抑える大国に敵うことはできなかった。 重商主義によって身勝手な、だが効率的に国益に敵う貿易が流行っていた。その流れは三角貿易、アヘン戦争につながり、イギリス市民が紅茶を飲むために戦争を起こし、これに何も対抗できないのがパクス・ブリタニカの強さを表している。香港を獲得し、東アジアにも本格的に介入してくるようになった。 インドの大反乱を鎮圧し、イスラム教徒には神聖化されている豚を眼の前で剥ぎ沈め、その血肉を無理やり食らわせ、ヒンドゥー教徒にはそれを牛にしてやった。この出来事は「ブリカス」を象徴する、最も分かりやすい出来事だと個人的に思う。 フランスが推進したスエズ運河の開発だが、財政難のスエズ運河会社を買収したことによってスエズ運河、そして周辺のエジプトを保護国かしたり、更に強い制海権、商業活動を行った。 連合王国の最重要植民地はインドであり、スエズ運河によって、地中海を通るルートが近道で、このインド航路を他の列強の手から死守するのが必須だが、地中海に手を伸ばす列強としてはロシア帝国があった。連合王国はロシア帝国と敵対的な関係を構築し、限界を迎えたタイミングは、日英同盟の締結で分かるだろう。 パクス・ブリタニカを唱っていた連合王国はスラブ民族の国一つを、黄色人の島国と協力しないといけない程度に弱っていたのだろうか? 連合王国は海上世界帝国であり、この世界のすべての争いに干渉することができた。よって常に争いをしており、そのような状態でロシア帝国に対抗するのは厳しかった。窮鼠猫を噛む。ロシア帝国は大日本帝国に敗れ、新たな大英帝国の栄光が訪れた。 大日本帝国との同盟はあったものの、他国との関係には無関心、常に敵対的で、光栄ある孤立をしていた。だがドイツ第二帝国の世界政策が大英帝国の星を脅かすようになると、同じく反独的なフランスとの協商、英仏協商が成立。協商は同盟よりも緩やかな繋がりのため、ドイツ第二帝国がフランスに宣戦布告し、第一次世界大戦が始まっても観賞していた。そして参戦の機会を伺っていたが、ドイツ第二帝国のベルギー侵攻、シュリーフェン・プラン(小モルトケの改変により弱体化したもの)により、永世中立国ベルギーが侵攻されると、ベルギーとの関係が良好であり、ベルギーが永世中立国でいることを認めていた大英帝国はこれを機に参戦。第一次世界大戦の主要国となった。塹壕戦を展開し、戦車を初めて生産したり、劣勢を覆すため、巧みな外交手段で味方を増やし、ドイツ第二帝国を衰弱させていった。イタリアに未回収のイタリアの編入を約束し、パレスティナにユダヤ人の国を作る宣言をし、パレスティナをオスマン帝国からの支配から解放し、アラブ人の領域にする約束をし、オスマン帝国を英仏露で分割し、植民地にする約束をした。一次大戦で勝戦国となる。イタリアには未回収のイタリアを与えず、トラブルのもととなったパレスティナ問題は国連に投げつけた。 アメリカ合衆国への債務などにより世界一の栄光は崩壊したが、未だに海上最強国家であった。 イギリス連邦を作り、多くの植民地を自治領に変化させ、これは今でも、イギリスにとっては近隣諸国よりも強い結びつきを持った。 世界大恐慌ではブロック経済圏で対処をしたが、ドイツ第三帝国へ宥和政策をした。ポーランド侵攻で覚悟を決め、ドイツと対峙するものの、大陸側領土が全てドイツ側のものとなる。度重なる空襲で島は燃やされたが、イングランド時代から誰にも乗られなかったブリテン島はまたもや、ドイツにも乗ることは敵わなかった。そして、チャーチルは中途半端な講和条約には応じなかった。ノルマンディー作戦も主導し、二、三番目に第二次世界大戦の連合国側に貢献した国といえる。 【キャラ性能】 男よりの中性 ふざける 奴隷が好き。 息を吸うように嘘をつく。 (海だと)強い。 まあいうて陸でも空でも強いが。 植民地も好き。 紳士だと自分のことを思っているなぜか。 ブリカス。
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