・録書する理由と個人的な見解 是等は大凡2年間、私自身の経験を元として次元に於ける生存戦略を記した物だ。言っておくが、是等はあくまで個人的な史観で語られる物で有り、これを熟読したからと言って必然的に強くなる訳でもない。私が言いたいのは「己の持ち味を理解し、其れをひたすらに磨け」ということだ。大衆が思っている様な「憧れ」は今直ぐに破棄するべきだ。憧れという感情は、本来ある才能を殺し、自分の在るべき姿を根本的に変えてしまう。次元世界に於ける理如きで人生見直せとまでは言わない。私は基本放任主義者だ。自分自身が良いと思った思考を指標に生きれれば幸せだろうと思っている。自信がある訳では無いが、読んで損はさせない。それは何故か、読後の損得を決定すのは君だ。その為、この著書で君が助かっても「ありがとう」等とは言うな。私は助けていない。君が君自信を助けただけなのだから。 ・次元世界に於ける最も価値のあるものは信頼と知識である。- そして、無知とは次元世界に於いて最も価値の無いものである。 次元における信頼とは単なる人間関係の感情的な要素ではなく、「発言力」や「外交力」、ひいては社会における影響力そのものに直結する。では、信頼が欠如した場合はどうなるか。それは経験しなくとも結果は単純である。その者の発言に対して大衆等は『"真偽を確かめる"等といった思考実験を破棄し、"あの人は信じられないから"と言ったレッテルを貼る』といった行為を自然と行う。その後大衆はレッテルに従って自然とその人自体を拒絶する様に学習してしまう。この為に一度信頼が欠落した者は以前と同じ様な信頼を得る為には更に大きな努力が必要となる。信頼とは手のようなものなのだ。手が汚れていては、差し伸べたとしても誰もその手を取ろうとはしない。次に着目したいのは「逆」についてだ。狙いは対義語を明確に定義付け、お互いを同時に表すことである。例えば「〜はいけないこと」などと言った抽象的な考えに"逆"という考えの「〜は良いこと」を付与させることで対義する言質同士が噛み合い、格段に失敗しにくさといった負の確率が改善される。さて、此処で考えてみよう「次元世界に於ける最も価値のないものは何か」と。それは"無知"である。そして或る時、ソクラテスは言った。「無知とは罪であり、罰でもある」と。これは知らずに行ったとしても他人の視点で見れば明らかな罪であると捉えられることや、その無知が犯した罪に於ける最終的な罰に繋がるといった至極真っ当なものだ。例とするなら、日本の法律を知らない者が法に触れ、「知らなかった」と言っても、結果を見れば罪を犯したという時点でその者は誰でも有罪と分かる。この世界では不条理にも結果だけが残るのだ。その過程はただの設計図でしかない。そしてこの無知という語にも当然,対義語が存在する。一括りにまとめるとそれは"知識"だ。この「知らなかった」という例に於いても、「法を犯す前に"法律を知っていたら」という仮説を立てればその者は「知っていたから、やらなかった」といった立説に至る。その他の身近な例として、「これをしたら怒られるから」や「これをすると頭が良くなる」といった様々な物があり、是等に一環する結論として『知識は思考判断を行う事における材料である』という事に要約される。つまる所、私たちはこれまでの知識を経験上などと言った観点から選択し、現状に当て嵌めることで「どうしたらいいのか」を手動で判断しているのだ。そして、知識を私なりに例えるなら脳である。当たり前のことだが、思考や判断は脳という記憶貯蓄卓が無ければ生まれもしない。一種の例として是等の文章は前述した通り、私の知識や経験を材料として書き上げている。是等の話をまとめると信頼と知識は次元に於いて生きる上で不可欠な要素であり、殆どはその度数と量幅で決まる。しかし、其れ等とは対義として無知は愚弄なものだ。無知であるというだけで「当たり前」が通じず、一般人としては苛立ちや嫌悪感を覚える。一方で詐欺師にとって無知とは最高の餌となる。無知な者は先程前述した「知識や経験を材料として現状を判断する」といった行為がままならず、場に流されやすいと言った特徴がある。これは同時として教育に打って付けなのだ。残酷な話だが科学的な例を挙げるとすれば「人間は子供時代の育て方によって感性や人格が変化する」といった研究が出ている。詐欺師にとって無知とは赤ん坊とほぼ同義なものなのだ。ただ、ポジティブに考えるとしたら「正しい教育をすれば良い」ということだけなのだ。それは当たり前の行為であるが、残念ながら無知は赤ん坊とイコールではない。即ち、学習する意味が無いのだ。なお、中国の聖人と言われた孔子はこの事について「過ちをしても尚知ろうとしない事が真の過ち」と説いている。この真の過ちこそが無知と赤ん坊をノットイコールにする本質的な部分だ。私は何度でも言おう、無知は愚弄であると。無知は罪であり、罰であると。好奇心という名の学習欲の気持ちが「無知ではない」という唯一の証明となる。一回の過ちは、工夫次第では希望への道筋となるのだ。最後に一言、実は見落としているものが一つある。それは勇気、即ち行動力だ。此れを例に乗っ取って考えるなら足だ。知識という頭脳、信頼という手、其れ等を支えている身体。しかし、その全てをこの「勇気、即ち行動力」が背負っている。自分自身が動かなければ何も起きない。これは普遍の事実であり、逆に行動する勇気を信頼や知識と同時に持ち合わせた時、「何か」が必ずと言って良いほど起きる。その何かを決めるのは君だ。その結果には原因がある。その原因の多くは「したか、してないか」。戦わなければ勝てないと言った様に、分かりきったことだ。是等を踏まえ、次元世界をもう一度見てみよう。君はこの世界でどう生きるのだろうか。 ・力とは何か、それは信頼と知識によって無限に増進されるものである。 「力」 、これさえあれば世界中のありとあらゆる全てのものが手に入る。そう考えている者は数多といる。然し乍ら、力は活用出来なければ存在意義は消失する。次元世界に於ける力とは一概に信頼や知識と言った物の総合とも言えるが種類もある。私は次元世界に於ける力の一種、戦闘力について語りたい。まず戦闘力とは、国家間の衝突に於いてその勝敗を大まかに左右するものだ。戦闘力の高さは勝率に直結し、比例するのだ。前回の内容にて知識と信頼、無知を取り上げた。そして、面白いことに其れ等は戦闘力を底上げしたり有っても敵わなくしたりと、様々な効用がある。その3つを今回は簡略に述べようと思う。まず一つ目は知識だ。これは、「戦闘力を底上げする」効用を持っている。具体的には戦争を行うと言った行動に対して知識経験から新たな「選択肢」を生み出せればそれは戦術となり、戦争をより多面的かつ効率的に行えるだろう。語彙と言った観点含め、何でも行動する時にはその行動の解像度を次第で変わってくるのだ。次、二つ目は信頼だ。これは、「有っても敵わなくする」といった持ち合わせているだけで戦争自体がかなり楽になる物だ。具体例を挙げるとなれば、難しいが宗教と同義な所がある。宗教は教えを説き、完全に相手を信頼させる。悪い意味で言えば洗脳の一種だ。そして、教祖様が居ると仮定した場合、その教祖様を崇拝、即ち信頼している信者達は教祖様の言う事を容易く実効したりする。そして、ミリグラム実験の様に人は環境さえ揃えば加虐性を増す。洗脳された状態なら尚更であり、大罪でも起こす可能性は充分にある。こういった意味で信頼といった人望を有していれば戦争は一方に大きく傾く。自分自身が直接手を下さずとも勝てる気さえもあるだろう。最後、3つ目は無知だ。残念ながら、此れに良い効用は全く無い。「思慮なき力は、自らの質量によって崩れ去る。」この言葉通りのことが、力の或る無知に起こり易いのだ。具体例を挙げるならアニメやゲームに登場する「バーサーカー」という者が良い例であろう。彼等は非常に強い力を有し戦闘を好むと言った共通の特徴があるが同時に無知、言い換えれば知識が乏しい場合が殆どなのである。この場合、大抵のセオリーとしては主人公が知識や工夫を凝らし力の差が或る状態でも勝つと言ったのが多い。但し、そう言った状態でも例外と言うのは存在する。理論上は、という「ありえないはありえない」状態なのだが。その例外とは即ち何か。それは凡ゆる知識や信頼を全て活用しようとも決して叶わない、圧倒的かつ行き過ぎたと誰もが言える程の力を有している場合である。こう言った例外中の例外みたいな奴が理論上に存在し得る為、述べるだけで「確定」とは言えない多少曖昧なものが出来上がる。それでも世の理の真理を付き普遍的なものと位置付けられている物には堂々と「確定」の付箋を貼れる。此れ等のように、戦闘力に於ける概念には明確な答えはないが、確率論として勝率の高いものを知ることなら出来る。それは己と相手を理解することだ。己の理解は難しいが、分かった途端に才能の実は育ち始め、同時として限界も知ることが出来るのだ。これに絶望をしないで欲しい。時間は常に平等だが、才能だけは平等ではない。そして、世は不条理だと言うことも周知の事実だろう。勿論のこと、是等は知識経験から得た普遍のものなのだが、当然なことに明確な「答え」はない。有るならば全ての者がそうしているし、超大国や大国、中小国の様な階級世界は単純化しているだろう。君はその持っている力を何と合わせ活用するのだろうか。その「答え」は君が探究し、得られる事実から組み立て自体は可能だ。それは今後生きる上で揺るぎないものとなって行き、君を根底から支えてくれるだろう。