1936年のベルリン五輪にて演奏されたドイツ国歌。 ベルリン五輪では世界で初めて聖火リレーが実施された。 ベルリン五輪のハイライト 8月1日の開会式では、ヒトラーが開会宣言をしている間に、メインスタジアムの10万人の観衆が、ナチス式敬礼(ローマ式敬礼)のように右手を斜め前方に挙げた。また、ドイツと政治的に緊張状態であったフランスの選手団が、行進の際「右手を斜め横に掲げるオリンピック式」の挨拶をし、これをナチス式の敬礼と勘違いしたドイツ人の観衆の熱狂的な拍手を浴びた。 前回のロサンゼルス大会に引き続き、平沼亮三が日本選手団長を務めた。 陸上の10,000メートル、5,000メートルに出場した村社講平は共に4位とメダルはならなかったものの、小柄な村社が大柄なフィンランドの選手達(イルマリ・サルミネン、アルヴォ・アスコラ、ボルマリ・イソ=ホロ)を相手に果敢に先行する姿がドイツの観衆達の熱狂的な共感を呼び、日本においてもベルリンオリンピック最初の国民的英雄となった。 陸上三段跳びの田島直人が金メダルを獲得し3大会連続の日本の勝利を見せ、また走幅跳びでも銅メダルを獲得する活躍をみせた。 陸上棒高跳びでは西田修平と大江季雄の日本勢が、アメリカ勢との熾烈な争いの末、それぞれ銀・銅メダルを獲得。2人はメダルを半分ずつに割って『友情のメダル』を作成した(後に、西田修平のメダルは早稲田大学に、大江季雄のメダルは秩父宮記念スポーツ博物館に、それぞれ寄贈された)。 女子二百メートル平泳ぎでは前畑秀子が、地元ドイツのゲネンゲルの激しい追い込みを僅差で押さえ、金メダルを獲得した。ラジオ放送での河西三省アナウンサーの「前畑頑張れ」の連呼の実況は、日本の聴取者に熱狂的な興奮を巻き起こした。 サッカーでは初出場の日本チームが優勝候補のスウェーデンを破る歴史的番狂わせを演じ(ベルリンの奇跡)ベスト8に進出した。 アメリカのジェシー・オーエンスが、男子短距離・跳躍種目のそれぞれに優勝し史上初の4冠を達成した。この陸上4冠記録はカール・ルイスが登場するまで並ぶ者は出なかった。 芸術競技では、日本画家の藤田隆治が混合絵具(Mixed Painting)の部に作品「アイスホッケー」で参加して銅メダルを獲得し、作品はナチス買上げとなった。洋画家の高田力蔵も、Zwei Formen賞(二部賞)を受賞した。
ベルリン五輪期間中はユダヤ人に対する差別は停止されドイツを訪問した欧米諸国の記者は選手にドイツは差別国家ではないと印象づけた。