↓↓↓ファンタジー小説もよろしく↓↓↓ https://scratch.mit.edu/projects/1269300836/ 前回? そんなもの ココにはないよ… 次回 まだ 豊臣の逆襲 第一話「いざ大坂」 ========================= 西暦2291年。 永井房頼(ながいふさより)という男がいた。 彼は人類の長き願いを叶えた。 タイムマシンを完成させたのである。 しかし、彼はその業績を誰にも伝えようとしなかった。 彼は自ら試運転のため10年前に飛んだ。 それは何故か。 失敗しないと知っているからである。 10年前の自分に会い、タイムマシンを作る昔の自分自身に少しの助言をしてから元の時間に戻った。 何故なら、自分が未来の自分にそうされたから。 彼はまた飛んだ。 その先は慶長19年11月18日。 そう。あの大坂の陣が始まる前日。 房頼にはある秘密があった。 彼は大坂の陣で活躍した大野治房(おおのはるふさ)の子孫である。 大野治房は陣後消息不明であり、京で斬首、大坂で焼死、逃亡説がある。その子孫は700年生き延びていたのだ。 そして、代々誓ったのである。必ず大坂の陣を悲劇で終わらせまいと。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 《永井房頼視点》 私が目を開けると、目の前には立派な漆と金で彩られた塔があった。 これが燃える前の大坂城の天守か。 ポケットの中にリモコンをしまった。タイムマシンといっても、乗り物じゃない。私のラボに作った亜空間のスペースから転送されて、この掌サイズの小さな黒い箱についてるボタンで帰るというものだ。リモコンを無くさなければ乗り物を破壊されたりして行った先で帰れなくなるみたいなことはない。 「何奴!」 一般の兵士。私が突然来たので忍かと思われているのかもしれない。 無抵抗のまま縛られた。 黙ったまま名のある武将に「怪しい者を捕らえました」って持って来てくれるパターンだこれ。 すると、丁度十字架を首に掛けた名のありそうな将が来た。 その名前を当てることは容易かった。あまりにイメージ通りだったからだ。 「….明石…全登…」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 明石全登(あかしてるずみ)。 関ヶ原で領地没収&流罪になった宇喜多秀家(うきたひでいえ)の家臣。キリシタン武将である。 実は『全登』という名前、どう読むのかわからない。この小説では『てるずみ』を採用するが、『たけのり』だったり、そのまま読んで『ぜんとう』だったり、キリシタンだから『ジュスト』だとか、様々な説がある。 通称の明石掃部(かもん)がで呼ぶのが一番正しいが、これは官職の名前であって本名ではない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「また徳川の忍か……最早見せる必要などあるのか?」 「ちょ待っ…一旦…一旦話を聞いて下され!!」 『未来から来た』というのは最初は怪しまれたが、言い訳が斬新過ぎるので問答無用切り捨ては免れた。 証拠品としてポケットの中にスマホがあったので(勿論圏外になってて使えないが)、なんとか切り抜けて、明石全登には話をつけて貰うことにした。タイムマシンのリモコンよりはスマホの方が未来っぽい見た目してる。 流石に秀頼の顔は見れないが、浪人衆の集いみたいなのには出席させてくれた。 「其方が永井房頼とかいう未来から来たとかいう者か。」 どう考えても真田信繁(さなだのぶしげ)にしか見えない赤い鎧の男がそう言った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 真田信繁。『幸村』の名が有名だが、彼を幸村と呼ぶのは誤りである。彼は幸村なんて名前名乗ったことないし、大坂城内でも『信繁』と名乗っていたことが証明されている。 冬の陣では城の南に築いた『真田丸』で徳川をフルボッコ夏の陣で徳川家康に迫ったことでとてつもなく有名になったヒーローであるが、現代人の殆どが知っている活躍には誇張がある。 それは、『それ他の人もやってた』だ。 真田丸は後藤基次(ごとうもとつぐ)も同様に南に出丸を築く案を出したが、後藤が真田に譲った。その上真田丸の半分は長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)の持ち場となっている。 また、夏の陣では群がる大軍を捌いて家康の本陣にまで突っ込み、真田隊よりも長く持ちこたえた毛利吉政(もうりよしまさ)がいるのだが、その活躍は全て真田の存在感によって忘れ去られてしまった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「早速だが、この戦、其方はどう見る?」 「多勢に無勢ですから、まず城の周辺の砦を守るのは絶望的です。」 「…まあ、だろうな……」 「味方は少ないので、守り切るというより、被害を減らすように戦うべきです。」 「おう。じゃあ砦は捨てるのか?」 後藤基次(ごとうもとつぐ)が聞いてくる。圧がすごい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 後藤基次。 後藤又兵衛(またべえ)という通称の方が有名だがこちらはどちらで呼んでも正しい。黒田長政(くろだながまさ、有名な黒田官兵衛の息子)に仕えていたが、出奔した。 豊臣方としては、鋭い洞察力で徳川の動きを読んで活躍した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「いえ、折角築いた砦を捨てるのは勿体無いので、多少の戦闘はしておいた方が良いです。敵に数の違いを覚えさせて油断させれば、誰一人堅固な大坂城に入って来れますまい。特に南には真田様の築かれた『アレ』があります。」 木津川口、博労淵、鴨野・今福、野田・福島のどの砦での戦いでも徳川軍は数でゴリ押して勝利をしている。正直、この戦況で砦なんてほぼ意味ない。作者は豊臣の人達は何をやっているんだ?そんな意味のないものを建てて時間の無駄では?という疑問でいっぱいである。 ただ、その後の真田丸で徳川軍がどれ程痛い目に遭ったかというのは現代人の誰もが知っている話だ。実際、今福以外では豊臣がボコボコにされてた。 他の戦場で誰かが余裕勝ちすると、他の部隊は油断と慢心、そして功への焦りを生み出す。 太陽の位置を確認したら、西に傾いていた。夕方だ。 「ただでさえ数の差が大きいのに夜襲でもされたら面倒ことになります故、今夜は全員持ち場にお戻りくだされ。」 と言って夜襲を示唆しておいた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 実は、冬の陣での主な戦のうち、木津川口(きづかわぐち)、博労淵(ばくろうぶち)、野田・福島、本町橋(もとまちばし)の戦いが夜中、鴨野(かもの)・今福(いまふく)、真田丸では夜明けに戦闘が行われている。戦というのはあまり日中には行われない。つまり、この戦で大事なのは夜間の行動である。 軍議のために城内に居残って砦を放置した明石全登は、木津川口の戦いで知らぬ間に砦を奪われてしまった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「いや、向こうにも何人かの将を置いてある。1人が城内にいるからと問題になることはないぞ。」 そう言う明石に、「木津川口は明日落ちますよ」とも言えなかった。 翌19日の未明、木津川口の戦いが起こる。私は今の所砦での戦いに策はない。ここは放置することにした。 【第二話に続く。】
サムネ: web検索 どうも、ガガことgagamkと申します。 今回より歴史if小説を書きます。 ちょっと変わった大坂の陣をお楽しみ下さい。作者は読者のために説明を入れるので、戦国史の細かいこと知らなくても大丈夫。大坂の陣について大体のことをなんとなく知ってたら、あとは作者の解説でなんとかなります。 ===今回の登場人物=============== 永井房頼 明石掃部助全登 真田左衛門佐信繁 後藤又兵衛基次 一般兵士