前回 https://scratch.mit.edu/projects/1279490727/ 次回 https://scratch.mit.edu/projects/1279512915/ 豊臣の逆襲 第二話「木津川」 ========================= 11月18日の夕暮れ、木津川口砦付近、浅野長晟(あさのながあきら)の陣。 「長晟、あれを見ろ。」 長晟の従叔父、浅野忠吉(ただよし)が不思議そうな顔で何かを眺めていた。 「向こうの砦がどうか致しましたか?」 長晟が聞いた。 「妙に炊煙が少ないなと思って…豊臣の浪人共が移動したのか、離散しているのか…」 「そうですか…まあ、彼処の兵が減っているのは確実でしょう。ここは我らが開戦の火蓋を切るというのも…」 「申し上げます!阿波勢の水軍四十艘、砦に進軍中です!」 「なっ、我らも遅れてたまるな。出陣するぞ!」 蜂須賀(はちすか)、浅野、池田は合計で三千余の兵をこの戦で投入したが、この三家は合計で2万近くの軍勢を大坂に連れて来ている。つまり一万五千の兵が温存されている。 全体的に大坂冬の陣での兵力差は豊臣軍10万に対し幕府軍20万。攻城戦では攻める側は守る側の3倍の兵力を動員するのが定跡であり、本気で攻略する場合豊臣方の勝利自体は濃厚だった。ただし、10万もの兵が入るのは大坂城の中だけ。外にある千人しか入れない小さな砦など、攻め落とされて当然である。 木津川口砦には800の兵。つまり兵力差3.75倍。砦程度に3倍もの兵力差は要らないので、兵力差は圧倒的だと言える。 木津川口はすんなり幕府軍に占拠された。 守将の樋口雅兼は捕えられた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 明石全登は大坂城内でその報を聞いた。 「木津川口の砦が夜襲を受け、紀州・淡路・阿波の軍勢に奪われました!」 「何!?それで、樋口(ひぐち)殿は?」 「無事に城内に逃げ戻っています!」 「…『逃げ戻った』は言い方は悪いが、正しいことな…しかし、儂が不在の間に、何てことが…!」 「それだけでは御座いませぬ。新家の船舶も攻撃され、伝法川も占拠されたとのことです…」 (不覚だ…やはり永井殿の意見を聞いておくべきだったわ。) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 《永井房頼視点》 私は豊臣の敗報を真田丸で聞いた。 興味本位で見に行ったが、よくできた防御施設である。 半月形の急勾配の高い崖を水堀・空堀と無数の柵で囲い、その上の狭間から文字通り全方位に向けて鉄砲を撃ったり矢を射たり石を落としたりできる。先頭の敵を潰せばその下まで転がり落ちて、いずれ下の者まで下敷きになるだろう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 真田丸が築かれた理由、それは城の弱点の克服であった。大坂城は大地の北の端に築かれており、つまり東・西・北の城壁は台地の端っこであるため下に天然の崖がある。さらに、その崖の横を川が流れて天然の水堀となっていた。しかし、台地の続く南にはそんなものはない。秀吉が築城した時には水堀をつくるなどしたが、南にはまだ大軍勢が展開できる広いスペースが存在した。そこに徳川が陣取ってくる。 だからこそ、真田丸が必要だった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー まあ、今からこの出丸に興奮するには早い。一週間後に鴨野・今福の戦いが待っている。 彼処で勝利するためには、私が戦場に行かなければいけなかった。
どうも、ガガこと@gagamkと申します。 サムネの地図は見ての通り資料見ながら手書きです。汚い。題名が邪魔で読みにくいので題名なしのバージョンを中に入れておきます。 ===今回の登場人物=============== 浅野但馬守長晟 浅野右近大夫忠吉 明石掃部助全登 永井房頼 一般兵士