B29や25の脅威を真に受けた日本海軍は秋水の完成を急ぎ、設計図をドイツから譲り受ける際に最初から潜水艦と爆撃機「彗星」の二手に分かれ、それぞれがコピーの設計図を持った状態で日本へと向かった。(史実とは少し異なります) それにより潜水艦が撃沈されるも彗星が無事日本へ設計図を持ち帰ることに成功した。そこで得た秋水の技術+日本独自の改良を加え1944年末ごろにのちの落雷となる「108試作局地戦闘機」ともう一つ案があった「158試作局地戦闘機」が飛行試験を行った。(108、158試作局地戦闘機という名前がすでに史実にあったらごめんなさい!!) 軍令部の要求する優れた上昇性、高高度での安定性、重武装、燃料の搭載量を多めに という条件を満たしたのは108機の方であり、そこから正式に「落雷」として量産が始まった。とはいえ編成を組める数がそろったのは1945年4月ごろであり、すでに戦艦大和の沖縄特攻も目前という時期であった。 初陣となったのは1945年5月14日の名古屋を襲ったB29の大規模な空襲への迎撃だった。日本軍が特攻などに備え航空機と燃料を温存する中、15機で編成された「落雷隊」が小牧航空基地から発進、太平洋・和歌山方面から押し寄せるB29の迎撃に向かった......... 落雷隊は高度14,000m付近まで上昇、これはB29の飛行する10000m付近を大きく上回る高度で、完全に上をとっているが、敵編隊は知る由もなかった。 この時期B29はより精密に焼夷弾を投下するため、爆撃時は高度を下げていた(はず)。 そこで落雷隊もB29の電波を逆探で正確にとらえるまではぴったりとついて行くような形をとる。 先頭を行く1番機の逆探に反応、落雷隊は短い無線だけ交わして情報を交換したのち、雲の上から編隊に降下する。敵の中に突っ込む前に、落雷隊は横に並ぶような形をとり、試作として搭載されていたハ号噴進誘導爆弾を投下。これはその名の通りジェット推進で進む大型爆弾で、1機にあたればその機体は粉砕、周りにも爆風で加害することが出来るという物だ。 15機すべてが無事に爆弾を投下、燃料に点火した爆弾は一直線に敵編隊に突っ込んでいく......... 着弾!!! 約7、8機のB29の翼をへし折り、炎を吹いて落ちてゆく。あまりに急に襲われたことで敵は何処から撃たれたかも把握できない状況。ここで間髪入れずに落雷隊はジェットの推力を使い急降下!! 敵の機銃が旋回するよりも圧倒的に早く、機首に4門集中配置された30mm機銃が火を噴く。あっという間にまた4機ほどB29のプロペラを粉砕、すでに落雷の速度は860km/hを超えているだろう、縋りつく敵の護衛戦闘機「P-51」もゆうゆうと引き離し、尾部の20mm連装機銃が薙ぎ払う。そのまま速度に乗って落雷隊はB29の下まで降下、今度は勢いを使って急上昇。B29の弱点である腹に30mm斜銃を次々と浴びせる! 一瞬にして陣形が乱された敵編隊はとにかく落雷隊へ銃座をまわし、曵光弾を放つが、落雷隊はただでさえ速いうえに装甲も厚く(ガラス部は170mm厚防弾ガラス、機体は軽量なジュラルミン合金+防弾鋼板3層、エンジンに至っては二つのジェットエンジンの間が難燃隔壁+炭酸自動消火装置)、ほとんど効果がない。そうこうしているうちに再び落雷隊は急降下、先ほどとほぼ同じ作戦で突入するのはよほど性能に自信があるからだろう。火を消し止めたばかりの敵にこれでもかと燃焼散弾砲を撃ち込み、1機、また1機と敵の勢力を確実に削っていった。 しかしここで落雷隊は次々と燃料が尽きる。尽きた機体から燃料を振り絞り上空へ反転し、基地へ帰還する。この際敵編隊の進路が名古屋方面であったため、滑空して距離を稼ぎつつ三重の明野飛行場へ帰還する。15機そろってほぼ無傷の状態での帰還だった。 結果的に圧倒的な物量で押し寄せる敵を防ぎきることはできず、名古屋は少なからず爆撃されてしまった。しかしあまりにB29の消耗が激しかったため、しばらく米軍は爆撃をする判断が出来なかった.................. 米軍からは「あの迎撃機が居るところは飛行禁止区域だ」とも恐れられたらしい.... というなっがい話を考えたりしました
スペースキーで次のコスチュームに移ります!!とはいっても全部で3枚しかないんですが....... 機体の塗装は空母生駒の戦後に取られた写真などを参考に迷彩を塗りました 何かしら動きつけた方がいいのかな.........?