===太田順也はzunさんの本名です。 ~~~ZUNさん幻想入り物語 第十話~~~ 鈍い頭痛と共に、順也はゆっくりと目を開けた。 視界の端で、チカチカと点滅するカーソル。PC-9821のブラウン管越しのような液晶画面が、薄暗い部屋の中で彼を照らしている。頭には、見覚えのある黒いとんがり帽子が乗せられていた。 「……僕はいったい、何を」 寝ぼけた頭で画面を覗き込んだ瞬間、順也は息を呑んだ。 そこには、彼自身が書いた記憶のない、しかし明らかに自分の手癖が反映された何千行ものソースコードが走っていた。限界まで切り詰められたメモリ管理、FM音源のレジスタを極限まで叩き切るような異常なパラメータの羅列。 キーボードを叩き、テストプレイのコマンドを実行する。 スピーカーから流れ出したのは、昨日までの牧歌的な和の旋律とは全く異なる、狂気を孕んだような激しいビートと、哀愁を帯びた重厚なメロディだった。画面の中では、処理落ちギリギリの弾幕が、美しい幾何学模様を描いて展開されている。 「生きてたか、外の世界の物書き」 背後から声がして振り返ると、魔理沙が箒に寄りかかりながらニヤリと笑っていた。その隣では、アリスが腕を組んで興味深そうに画面を見つめている。 「森の毒に当てられて作ったガラクタにしては、悪くないわ。……少しだけ、私の人形の動きに似せてあるところは評価してあげる」 アリスが少しだけ得意げに鼻を鳴らした。 「すごい……。これなら、いける。この世界(幻想郷)の理不尽さを、そのまま『遊び』として出力できる」 順也は震える手でデータをセーブし、愛機をそっと閉じた。魔法の森の混沌は、彼の中で確かな「東方」の基盤(システム)として昇華されていた。 「さて、と」 順也は立ち上がり、重みを増したように感じるリュックを背負った。 「お二人とも、お邪魔しました。最高のインスピレーションでした」 「もう行くのか? まあ、あんたみたいな面白え奴なら、幻想郷のどこに行っても死にはしないだろ。気が向いたらまた来いよ!」 魔理沙がバンバンと背中を叩く。アリスは何も言わなかったが、彼女の傍らの人形が、小さく手を振って見送ってくれた。 魔法の森の出口は、突然やってきた。 鬱蒼とした木々が不自然なほど急に途切れ、目の前には視界を覆い尽くすほどの広大な湖――『霧の湖』が広がっていた。 「……眩しいな」 久しぶりに浴びる直射日光に目を細めながら、順也は湖の対岸へと視線を移した。 そして、釘付けになった。 日本の原風景のような博麗神社とも、混沌とした魔法の森とも全く異なる異質なシルエット。 湖の向こう側、少し小高い丘の上に、血のように赤いレンガで造られた巨大な洋館がそびえ立っていた。屋根には鋭い尖塔がいくつも立ち並び、周囲の空だけが、不気味なほど薄暗い紅色の霧に包まれている。 「洋館……? こんな和風のファンタジーみたいな世界に?」 順也の脳内で、再び強烈なスパークが弾けた。 東洋の妖怪たちが住む世界に突如として現れた、西洋の吸血鬼の城。この圧倒的なアンバランスさ。ギャップ。 (赤と黒のコントラスト。ステンドグラスの16色ドット絵。そして、パイプオルガンを模したFM音源の重低音……!) PC-98の限られたパレットの中で、あの「紅」をどう表現するか。 どんな狂気じみた旋律を鳴らせば、あの館の主にふさわしいBGMになるのか。 先ほどまでの疲労は完全に吹き飛び、新たな創作の渇望が順也の胸を焦がし始めていた。 「次は、あそこだ」 リュックの肩紐を強く握り直し、順也は湖畔に沿って歩き出した。 彼がまだ見ぬ『紅魔郷』の主たちとの出会いが、すぐそこまで迫っていた。