時は一九四四年九月二十六日。 ヒュルトゲンの森は、昼だというのに薄暗く、湿った冷気が骨の奥まで染み込んでいた。 6日前から始まった戦闘で、小隊とはぐれた。 どれだけ歩いたのかも分からない。ただ、足を止めればそのまま凍えてしまいそうで、無意味に歩き続けていた。 ジョンは木にもたれ、震える指で煙草に火をつけた。 紫煙が、重たい空気の中にゆっくりと溶けていく。 そのとき、不意に気配を感じた。 顔を上げると、少し離れた木陰に人影があった。 スナイパーライフルを担ぎ、こちらをじっと見ている。 ——敵か。 一瞬、そう思ったが、撃ってくる様子はない。 しばらく見つめ合ったあと、その男はゆっくりと手を振り、こちらへ駆け寄ってきた。 距離が縮まるにつれて、ジョンは無意識に相手の腕章へ視線を落とす。 特技兵ではない。軍曹の階級章だった。 (軍曹も、迷ったのか) 妙な安堵と可笑しさが同時に浮かぶ。 やがて男は目の前まで来ると、きちんと背筋を伸ばし、丁寧に挨拶をした。 「ベンジャミンだ」と名乗る。 ジョンもそれにならい、軽く名乗り返す。 ベンジャミンは一瞬だけ無言になり、それから不意に手を差し出してきた。 (……ガムか?) ジョンはそう解釈し、口の中で噛んでいたガムを取り出して、そのまま手渡した。 次の瞬間、ベンジャミンはそれをジョンの鼻に押しつけた。 「……は?」 間の抜けた声を漏らすジョンの胸ポケットから、ベンジャミンは手際よく煙草を一本抜き取る。 ジョンは苦笑しながら鼻についたガムを剥がし、再び口に放り込んだ。 森の奥で、乾いた銃声がいくつも重なった。 距離は遠くない。風に乗って、断続的に響いてくる。 ベンジャミンは音のする方角に一瞬だけ目をやり、それから何事もなかったかのように言った。 「西へ行く。フランス側に戻るぞ」 唐突だったが、間違ってはいない。 このままここに留まっていても、いずれどちらかの部隊に踏み潰されるだけだ。 ジョンは小さくうなずいた。 だが問題は—— 「……地図は?」 「ない」 「コンパスは」 「ない」 「無線機」 「それもだ」 ベンジャミンは肩をすくめた。悪びれる様子はない。 ジョンは思わず空を見上げた。 だが、針葉樹の枝葉が空を覆い隠し、太陽の位置すら分からない。 (西も分からないのかよ……) 舌打ちを飲み込み、ジョンは周囲を見渡した。 雪に覆われた地面はどこも同じに見え、目印になりそうなものは何一つない。 それでも、じっとしているわけにはいかなかった。 二人は当てもなく歩き出した。 感覚だけを頼りに、ただ「西だと思う方向」へ。 どれくらい進んだのか。 不意に、低く唸るような音が森の奥から流れてきた。 ——エンジン音。 二人は同時に足を止める。 風に乗って届くその音は、次第に大きくなっていく。 一両ではない。複数だ。 ジョンはベンジャミンを見た。 ベンジャミンもまた、無言で頷く。 味方か、敵か。 判断を誤れば——終わる。 やがて木々の隙間から、鈍い灰色の車体が姿を現した。 ドイツ軍の兵員輸送車だった。 乗員は三、四人。油断した様子はない。 ジョンは反射的に、肩に掛けていたM1カービンを構えた。 照準を、運転席へと合わせる。 引き金に指をかける——その直前。 横から、銃身を軽く押さえられた。 ベンジャミンだった。 「お前、衛生兵だろ」 低い声で言う。 「衛生兵は、護身以上のことはするな」 その一言で、頭に血が上っていたのがすっと引いた。 ジョンはゆっくりと息を吐き、銃を下ろす。 (……そうだ) 撃てば、終わりじゃない。 始まるんだ。 二人はその場に身を伏せ、雪と泥に体を沈めた。 エンジン音が、すぐそばまで近づく。 履帯が地面を押し潰す重い振動が、腹の奥に響く。 やがて—— 兵員輸送車は、何事もなかったかのように二人の前を通り過ぎていった。 音が遠ざかるまで、誰も動かなかった。 森の中、兵員輸送車が去った後、二人は慎重に歩き出した。 雪に覆われた足跡はすぐに消え、周囲は再び静寂に包まれる。 だが、静けさは長くは続かなかった。 木々の向こうから、今度は低いエンジン音が近づいてきた。 灰色のドイツ軍用トラックが、ゆっくりと停止する。 運転手がドアを開け、ジェリカンを手に取り、辺りを見回す。 ジョンは思わず手元のM1カービンに手をかけたが、その瞬間、ベンジャミンが軽く腕を押さえ、銃を引き寄せる。 「……俺がやる」 ベンジャミンはゆっくりとトラックに近づき、銃口を運転手に向ける。 運転手は、ためらいながらも手を上に上げた。 ジョンも足を踏み出し、運転手をチェックする。 手が震え、目は怯えている。胸の鼓動まで聞こえてきそうだ。 「名前は?」ジョンが訊く。 唇を震わせながら、運転手は答える。 「カ…カールです。砲兵…です」 話を聞くと、カールは曲射砲陣地で任務についていたが、陣地は砲撃され壊滅。 一人で森を彷徨っていたところを、ドイツ憲兵に脱走兵と間違えられ、補給トラックに乗って逃げてきたのだという。 ベンジャミンはその間も荷台に目をやり、積まれた物資を確認していた。 MP40が数丁、缶詰、弾薬——生き延びるために十分な量が揃っている。 方位を示すものは何もなかったが、生きるには必要十分だった。 「俺たちと一緒に戦うか?」ジョンが訊く。 カールは、震える手で頷く。 二人は無言で了解の合図を交わし、MP40を手渡す。 三人は慎重にトラックに乗り込み、ヒュルトゲンの森を再び進むことになった。トラックは半日以上、雪に覆われた森の中を走り続けた。 やがて木々が途切れ、視界が開ける。 小さな丘の上に、ドイツ軍の陣地があった。 塹壕が掘られ、コンクリート製の小さな要塞が一つ。 いくつかの灯りが、暗闇の中でぼんやりと揺れている。 三人はトラックを森の陰に隠し、徒歩で丘へと向かった。 (……三人で、落とせるのか?) ジョンの胸に、不安がよぎる。 ベンジャミンは何も言わず、スコープを覗き込んだ。 わずかな時間の後、小さく呟く。 「要塞に三人。塹壕は空だ」 一拍。 「——いける」 その一言で、空気が決まった。 ジョンとカールは体を低くし、雪を踏みしめながら要塞へ接近する。 ベンジャミンはスナイパーライフルを背に回し、拳銃を抜いて塹壕へ滑り込んだ。 心臓の音が、やけに大きく聞こえる。 要塞のすぐそばまで辿り着いたジョンは、安全ピンを引き抜いた。 迷う暇はない。 手榴弾を、開口部へと投げ込む。 ——次の瞬間。 それは、弾かれるように外へ転がり出た。 「ッ——!」 反射的に体が硬直する。 だが、その横でカールが叫びもせずに動いた。 転がる手榴弾を掴み、即座に投げ返す。 今度こそ、要塞の中へ。 一拍の静寂。 直後、爆音が丘を揺らした。 土と煙が噴き上がる。 同時に、塹壕側でも短い銃声が一発。 ベンジャミンが見張りを撃ち落とし、そのまま丘の下へと蹴り落とした。 やがて、すべてが静かになる。 三人は互いの無事を確かめ合いながら、陣地の中へ踏み込んだ。 思っていたよりも小さい。 物資も多くはない。缶詰と弾薬がわずかに残されているだけだった。 だが—— 敵は三人だけ。 そしてこちらに、負傷者はいない。 それだけで、十分すぎる戦果だった。 爆煙の匂いがまだ残る中、三人は手早く陣地を漁っていた。 カールは倒れた兵士のそばに膝をつき、無言で鉄十字章を外す。 続けて軍服と軍帽を剥ぎ取り、まとめてトラックへ放り込んだ。 ジョンは武器箱をこじ開け、その中身に思わず息を呑む。 「……MG42か」 重機関銃を抱え、そのまま荷台へと押し込む。 やがて三人はトラックに乗り込み、再び暗い森の中へと走り出した。 エンジン音だけが、静寂を切り裂く。 しばらくして、ベンジャミンがぽつりと呟いた。 「俺たち、後方支援の人間だろ」 誰にともなく言う。 「そんな奴らが、陣地を落としたんだ」 カールが小さく頷く。 ジョンは何も言わず、ただ前方を見据えていた ——そのとき。 「……待て」 ジョンの声が低くなる。 前方、木々の切れ目に人工の光。 そして、バリケード。 「ドイツ軍の検問所だ……」 背筋が冷える。 (まずい……西じゃない。東に向かってる) ジョンは即座にトラックを止めた。 沈黙。 その中で、カールが口を開いた。 「さっきの服があります」 二人を見て言う。 「自分がやります。あなたたちは荷台に隠れてください」 迷いはなかった。 ジョンとベンジャミンは荷台に潜り込み、物資の影に身を沈める。 その間にカールは素早く軍服に着替え、帽子を深く被った。 やがて運転席に乗り込み、トラックを発進させる。 検問所が、ゆっくりと近づいてくる。 白熱電球の光。 銃を持った兵士の影。 「止まれ」 ドイツ兵が手を上げる。 トラックは停止した。 「身分証明を」 短い要求。 一瞬の静寂。 カールは無言で胸元に手をやり、鉄十字章を見せた。 それでも、兵士の目は細められたままだった。 「所属は」 短い問い。 一瞬の沈黙。 ジョンは荷台の中で、息を止めた。 カールの声は、驚くほど落ち着いていた。 「B群集団第27歩兵師団、砲兵連隊。陣地が砲撃で壊滅した。補給に回されている」 兵士はなおも睨む。 「証明書は」 ——まずい。 だがその瞬間、カールは苛立ったように舌打ちした。 「焼けた。全部な」 間を置かず、言葉を重ねる。 「通さないなら構わん。後ろの部隊に説明してくれ。俺はもう一度戻る気はない」 空気が張り詰める。 兵士は一瞬だけ迷い、やがて視線を逸らした。 「……通れ」 遮断機が上がる。 トラックが動き出した瞬間、ジョンの背中を冷たい汗が伝った。 数十メートル。 数百メートル。 やがて完全に視界から消えたところで、カールは大きく息を吐いた。 すぐにハンドルを切り、トラックを反転させる。 再び森の中へ。 適当な場所で停車すると、カールが小さく声をかけた。 「……もう大丈夫です」 荷台から二人が顔を出す。 冷たい空気が肺に刺さる。 カールはすぐに軍服を脱ぎ、ジョンの予備のアメリカ軍装に着替えた。 ベンジャミンは無言でジェリカンを手に取り、手際よく燃料を補給する。 ジョンは煙草を二人に差し出し、自分も一本咥えた。 わずかな安堵。 ——その瞬間。 「シュッ」 空気を裂く音。 三人の動きが止まる。 「……来た」 誰かが呟く。 次の瞬間、全員が同時に銃を掴んだ。 ジョンは運転席に飛び込み、アクセルを踏み込む。 エンジンが唸りを上げ、トラックが跳ねるように前へ出た。 背後で銃声。 弾が車体をかすめる。 ジョンはミラーを睨む。 ドイツ兵の影が、次第に小さくなっていく。 それでも—— 完全に振り切れたとは、まだ思えなかった。 トラックは全速力で森を抜けた。 エンジンの唸りに混じって、遠くから断続的な銃声が聞こえてくる。 その音は、進むにつれて確実に大きくなっていった。 やがて視界が開ける。 凹凸のある小さな平原。 そこにはアメリカ軍の装甲部隊と歩兵部隊が展開していた。 ジョンは息を呑む。 前方——盛り上がった丘の上。 コンクリート製の要塞。 そして、その周囲に据えられた複数の88ミリ対空砲。 「……あれを落とせてないのか」 思わず漏れる。 ベンジャミンは何も言わずトラックを降りると、弾薬箱から弾を取り、車体の灰色のドアにこすりつけ始めた。 ジョンとカールは顔を見合わせる。 「何を……?」 ベンジャミンは手を止めずに答えた。 「ドイツ軍だと思われたら撃たれる。白い星を作るんだよ」 即席の識別標識。 なるほど、とジョンは頷いた。 続きはメモクレ。
三人で作業を終えると、再びトラックに乗り込み、アメリカ軍の指揮所へと向かう。 指揮所は塹壕の中にあった。無線機の音と怒号が飛び交う。 三人が中に入ると、指揮官らしき二人がこちらを振り向いた。 「誰だ?」 言葉に出さずとも、そう言っている顔だった。 ジョンは慌てて一歩前に出る。 「第1小隊直属の衛生兵、ジョン上等兵です。こちらは第8狙撃小隊、ベンジャミン軍曹」 一瞬、言葉に詰まる。 カールのことを、知らない 「——私はカール上級曹長です」 横からカールが口を挟む。 「元ドイツ軍の砲兵です。……今は、こちら側です」 わずかな沈黙。 ジョンとベンジャミンは、思わず口元を緩めた。 “こちら側”という言い方が、妙に可笑しかった。 やがて指揮官の一人が口を開く。 「ローガン少佐だ。こちらはルーカス中尉」 短く名乗る。 「それで、何の用だ?」 ジョンは広げられた地図に歩み寄り、指を伸ばした。 「正面は硬い。ですが—— 丘の側面を指す。 「ここからなら、いけます」 「俺たちが回り込みます ベンジャミンが静かに続けた。 二人の指揮官は一瞬だけ視線を交わし、わずかに驚いた表情を見せたが—— 「……いいだろう」 ローガン少佐が頷く 「第4歩兵小隊を付ける」 それだけで、作戦は決まった。 やがて、三人と第4歩兵小隊は前線へと移動する。 塹壕から這い出ると、すぐに弾丸が頭上をかすめた。 地面に張り付くようにして進む。 息を殺し、雪と泥にまみれながら。 やがて丘の下へと辿り着いた。 頭上には、敵の要塞。 わずかな遮蔽物に身を隠しながら、三人は顔を見合わせる。 ——ここからが、本番だった。 空の弾薬箱を積み上げ、三人と第4歩兵小隊は、側面にあった無人の機関銃要塞へと滑り込んだ。 内部は静まり返っている。 外へ出ると、塹壕もまた無人だった。 (……要塞に集まっているのか) ジョンはそう判断する。 そのとき、小隊長のマイケルが駆け寄ってきた。 短く挨拶を交わし、全員が前方へ視線を向ける。 すぐそこに、88ミリ対空砲。 カールが低く言った。 「8.8mm Flakだ。あれを使えば要塞は吹き飛ばせる」 一拍。 「俺がやる。護衛してくれ」 誰も異論はなかった。 次の瞬間、カールが塹壕から飛び出す。 「行くぞ!」 ジョンたちも続いた。 雪を蹴り、弾丸の中を走る。 対空砲のそばにいたドイツ兵が振り向く——その前に、カールが体当たりのように飛び込み、殴り倒した。兵士の体がそのまま丘の下へ転がり落ちる。 同時に、右側から敵兵が現れる。 乾いた銃声。 ベンジャミンの一発で、敵は崩れ落ちた。 ジョンはその死体を一瞬だけ見る。 黒い戦闘服。 (……SSか) 背筋に冷たいものが走る。 だが、考える暇はない。 カールはすでに対空砲を操作していた。 砲身を無理やり水平へと下げる。 「弾を!」 隊員が装填する。 カールが照準を合わせる。 狙いは、最も近い要塞。 紐を引いた。 ——轟音。 次の瞬間、要塞が内側から吹き飛んだ。 土煙と破片が空へ舞い上がる。 歓声を上げる間もなく、カールは次の標的へと砲身を向けた。 戦いはまだ終わっていない。 ジョンは後方へと視線を走らせる。 塹壕の影から、ドイツ兵が飛び出してきた。 反射的に引き金を引く。 一発。 敵兵の頭が弾け、崩れ落ちる。 だが—— 別の方向から銃声。 小隊の兵士が一人、倒れた。 「ッ!」 さらに二人の敵兵。 だが今度は周囲の隊員が即座に応射し、二人を撃ち倒す。 ジョンはすぐに走った。 倒れた兵士のもとへ滑り込み、体を起こす。 「しっかりしろ!」 脈を確認する。 ——ある。 意識も、まだある。 (助かる……!) ジョンはすぐに応急処置を始めた。 ジョンは救急箱を開き、アドレナリン注射器と包帯を取り出した。 倒れた兵士の傷を確認する。 幸い、弾は重要な臓器を外れていた。 「大丈夫だ、死なせない」 自分に言い聞かせるように呟き、素早く注射を打つ。 続けて出血箇所を圧迫し、包帯を巻いた。 その背後で—— 轟音。 カールが弾薬を装填し、紐を引いたのだ。 砲撃が要塞に直撃し、コンクリートが内側から吹き飛ぶ。 だがその直後、銃声。 「——ッ!」 左側を警戒していたマイケル小隊長が撃たれた。 隊員たちが即座に応射し、現れたドイツ兵を次々と撃ち倒す。 ベンジャミンが叫んだ。 「第4小隊は俺が引き継ぐ!」 指揮が、途切れない。 ジョンはマイケルのもとへ駆け寄った。 膝をつき、脈を探る。 ——ない。 指先が、ほんのわずかに震える。 「……おい」 呼びかける。 当然、返事はない。 さっきまで命令を飛ばしていた声が、もうどこにもない。 周囲ではまだ銃声が続いている。 だが、その音が遠く感じた。 (……間に合わなかった) ほんの数秒。 あと少し早ければ。 そんな考えが、頭の奥にこびりつく。 ジョンは目を閉じかけて——やめた。 ゆっくりと息を吐く。 「……くそ」 それだけ言って、立ち上がる。 戦場は、待ってくれない。 そのとき、別の要塞が爆発した。 アメリカ軍のシャーマン戦車による砲撃だ。 だが、砕けたコンクリート片が雨のように降り注ぐ。 ジョンはとっさに身を伏せた。 「ぐっ……!」 顔を上げるとベンジャミンはかすり傷程度で済んでいたが—— カールの左腕に、鉄筋が深く刺さっていた。 「動くな!」 ジョンはすぐに駆け寄る。 鉄筋を引き抜いた瞬間、カールの体が強張る。 だが、声は上げなかった。 歯を食いしばり、ただ一点を睨んでいる。 「まだ撃てる……」 絞り出すような声。 ジョンは一瞬だけ動きを止めた。 「無理だ」 思わず言う。 だがカールは首を振った。 「ここで止まったら……意味がない」 短い言葉。 それで十分だった。 ジョンは何も言わず、弾を装填する。 ベンジャミンも無言で周囲を警戒している。 三人の呼吸だけが、妙に揃っていた。 ジョンは代わりに弾を装填する。 カールが砲身を動かし、最後の要塞へと照準を合わせた。 周囲では隊員たちが必死に応戦している。 次々と現れるドイツ兵を撃ち続ける。 「離れるぞ!」 カールが叫び、対空砲から飛び退いた。 ジョンはすぐに紐を掴む。 引いた。 同時に、ベンジャミンが手榴弾を投げ込む。 「伏せろ!」 三人と隊員たちは一斉に地面に身を伏せた。 次の瞬間—— 凄まじい爆発。 最後の要塞は弾薬庫も兼ねていた。 爆炎が丘全体を揺らす。 しばらくして、銃声が止んだ。 静寂。 ジョンはゆっくりと顔を上げる。 視界の先で、ドイツ軍が撤退していくのが見えた。 ——終わった。 三人と第4歩兵小隊は、ついに要塞陣地を制圧したのだ。 丘の上に、簡素な墓を作った。 マイケル小隊長のためのものだった。 土を被せ、木を立てる。 誰も多くは語らなかった。 それでも—— ジョンは久しぶりに、自分の中にある感情をはっきりと感じていた。 悲しみか、怒りか、それとも別の何かか。 うまく言葉にはできなかった。 やがて、背後から足音が近づく。 振り向くと、ローガン少佐とルーカス中尉が立っていた。 二人はしばらく三人を見つめ、それから静かに拍手を送る。 「……見事だった」 ローガン少佐が言う。 「正直に言えば、不可能だと思っていた。だが——君たちはやってのけた」 短い沈黙のあと、三人は顔を見合わせた。 そして、ようやく笑った。 張り詰めていたものが、少しだけ解ける。 「これからどうする?」 ルーカス中尉が問う。 ジョンはベンジャミンとカールを見る。 答えは決まっていた。 「ついていきます」 ジョンが言う。 「この部隊に」 ベンジャミンは軽く頷き、カールも静かに同意した。 三人は、もう別々ではなかった。 同じ戦場を生き延びた、仲間だった。 それから数日後。 ヒュルトゲンの森は、相変わらず静かだった。 戦闘の痕跡は至るところに残っている。 焼けた車両、崩れた塹壕、雪に埋もれかけた装備。 だが、あのときのような銃声はもう聞こえなかった。 ジョンは一人、丘の上に立っていた。 簡素な木の十字架。 その下には、マイケルが眠っている。 「……あんたの小隊、ちゃんとやってるよ」 小さく呟く。 返事はない。 当然だ。 それでも、言わずにはいられなかった。 足音が二つ、背後で止まる。 振り返らなくても分かる。 「もう行くぞ」 ベンジャミンの声。 「次の戦線に合流するらしい」 カールは何も言わなかったが、その気配はどこか落ち着いていた。 あのときよりも、少しだけ。 ジョンはポケットから煙草を取り出し、一本だけ地面に立てた。 マイケルの墓の前に。 そして自分も一本咥える。 火をつけると、白い煙が冷たい空気に溶けていった。 「……行くか」 短く言って、背を向ける。 三人は並んで丘を下りた。 森の向こうでは、まだ戦争が続いている。 終わりは見えない。 それでも—— 三人は、もう迷っていなかった。 進む方向はどこであれ—— 心の中では、確かに西へ。