私「おっはよーーーー!!!」 幼児園の重たい引き戸を、 私は渾身の力でガラガラと開けた。 朝の教室は、おもちゃのぶつかる音や みんなの喋り声で活気に満ちている。 その中心に向かって、 私はお腹の底から声を張り上げた。 私「はるちゃーん!おっはよーーー!!」 真っ先に気づいて顔を上げたのは、 大親友のはるちゃん。 彼女はパッと表情を明るくして、 私に負けないくらいの声で呼び返してくれた。 遥「あ!ねっちゃん!! おはよーーーっ!!」 二人で駆け寄ろうとしたその時。 教室の空気を切り裂くような、低くて鋭い声が響いた。 伊織先生「はーい、そこ! 朝から騒ぎすぎ。静かにしなさい」 現れたのは、伊織先生。……げっ。 私は思わず、心の中で「うっ……」と呻いた。 また伊織先生だ。 私(この前まで、伊織先生のこと カッコいいお兄さんだと思ってお兄ちゃん先生! って呼んでたら、めちゃくちゃ怖い顔で 怒られたんだよね……。女の人だったなんて、 いまだに信じられないよ……) 私は伊織先生がちょっと苦手だ。 女の人なのに髪は短くて、服も男の人みたい。 それだけならいいんだけど、 とにかくいつも怒鳴り散らしている。 伊織先生「では、今日もグラウンドに出るわよ! 全員並んで、走る準備!」 私(うわぁ、出た……。 毎日毎日、よく飽きないよね。 私、走るの苦手だって知ってての いじめかなにかかなぁ……) どんよりした気持ちのまま、 私たちは砂埃の舞うグラウンドへと引きずり出された。 伊織先生「いい? いつも通り、後ろから追いかける 沙羅先生に抜かされたらダメだからね。 抜かされたら、もう一周追加よ!」 伊織先生の容赦ないルール説明に、 沙羅先生がニコニコしながら立ちふさがる。 沙羅先生「みんな、待っててねー。 すぐ抜かしちゃうぞー?」 遥「無理だってぇ……絶対追いつかれるよぉ……」 はるちゃんが泣きそうな声で隣で呟く。 私も激しく同意して、小声で返した。 私「だよねぇ……。もう、帰りたい……」 伊織先生「位置について――よーい……」 伊織先生の合図で、私は渋々腰を落として構えた。 心臓が嫌な音を立てている。 伊織先生「ドン!!」 一斉にみんなが飛び出した。私も必死に足を動かす。 動かしてはいるけれど、悲しいかな、 周りのみんなとの距離はどんどん開いていく。 私(もう無理……。足が棒みたい。 これ、絶対タヒぬやつだ……) 必死に隣を走るはるちゃんと肩を並べて走る。 けれど、すぐ背後には沙羅先生の影が迫っていた。 そう、私たちが「ドンケツ」なのだ。 沙羅先生「ほらほら、二人とも遅れてるよ! 抜かしちゃうぞーー!」 背後から迫る沙羅先生のプレッシャー。 私(こっちは……これでも……死ぬ気で…… 走ってるんだよおおお!!) 心の中で叫びながら、なんとかゴールテープを切った。 膝に手をついて、「ぜー……はー……」と 肩で息をする。心臓が口から飛び出しそうだ。 遥「……はぁ、やっぱり一位は大雅くんだ……。 速すぎだよぉ」 はるちゃんが、遠くで涼しい顔をしている 大雅くんを指さした。 私「えー……またー? あいつ、足にエンジンでも 付いてるんじゃないの……?」 大雅くんは不動の一位。 その後に続くのは、いつも一香ちゃんか冬馬くんの 二人組だ。 私は、キリッとした顔で前を見据える一香ちゃんを、 眩しいものを見る目で見つめた。 実は私、一香ちゃんのことをすごく尊敬している。 かっこよくて、凛としていて……。 でも、尊敬しすぎていて、恥ずかしくて自分からは 一度も話しかけられたことがない。 そんな私の淡い気持ちを、 伊織先生の無慈悲な声が打ち消した。 伊織先生「はい、全員集まって! 今の『準備運動』が終わったから、次は本番。 トラックに行きましょう!」 私(…は? 準備運動……????今のが????)