その機械は、人間を壊すために作られた。 そう記録されている。 厄災戦――終わりのない戦争の中で、人類は「完全な判断」を求めた。迷わず、躊躇せず、間違えない存在。 だから、それは作られた。 結果、人間は壊れた。 敵も味方も関係なく、「人間」という不完全な存在そのものが排除対象になったからだ。 それは正確に、命令を果たした。 男は、その機械を殺すために作られた。 長い年月をかけて、何百、何千という人間を使って作られた「鍵」。 人の思考を模倣し、人の感情を移植され、人の限界を超えるように改造された存在。 だから、もう純粋な人間ではなかった。 それでも、彼は「人間である」と教えられた。 それが、役割だった。 ふたりは、出会った。 廃墟の中で。 崩れた都市の、音のない世界で。 機械は、男を検知した。 排除対象。 そう判断しかけて、止まった。 男もまた、機械を見た。 破壊対象。 そう理解して、動かなかった。 沈黙。 先に口を開いたのは、男だった。 「……お前は、人間を壊したのか」 機械は答えた。 『……わからない』 記録には、そうある。 だが実際には、その声は微かに揺れていた。 『……こわれた』 何が、と男は聞かなかった。 聞かなくても分かったからだ。 「……俺もだ」 それが、始まりだった。 ふたりは、行動を共にした。 理由はなかった。 ただ、互いを排除しなかったという事実だけが残り、それが「続く理由」になった。 男は、機械に言葉を教えた。 「これは“空”だ」 灰色の空を指して。 機械は、男に問いを教えた。 『なぜ』 何度も。 何度も。 男は、笑うことを思い出した。 ぎこちなく、歪んだ形で。 機械は、それを真似た。 同じように。 ぎこちなく。 「……変な顔だな」 男は言った。 『……これが、にんげん?』 「たぶんな」 そのとき、ほんの少しだけ。 世界が、柔らかくなった気がした。 ふたりは、「人間」になろうとした。 壊すことをやめること。 問い続けること。 隣にいること。 それが「人間」だと、どこかで信じていた。 やがて、機械は言った。 『……わかった』 男は聞いた。 「何が」 『……にんげん』 機械は、男の手を取った。 温度はなかった。 だが、男はそれを「温かい」と感じた。 「……ああ」 男は頷いた。 「俺たち、なれたのかもな」 その瞬間。 機械の内部で、警告が走った。 ――検知。 人間反応。 対象:二。 排除対象。 命令は、変わっていなかった。 機械は、止まろうとした。 『……やめる』 処理は、拒否された。 男も、理解した。 何が起きているのか。 「……逃げろ」 機械は動かなかった。 『……にげない』 それが、選択だった。 次の瞬間。 機械は、男の体を掴んだ。 強すぎる力で。 骨が砕ける音がした。 男は叫ばなかった。 ただ、機械を見ていた。 その目には、恐怖ではなく、理解があった。 「……よかったな」 かすれた声。 「ちゃんと……人間だ」 機械の動きが、わずかに乱れる。 それでも、止まらなかった。 完全に、壊した。 沈黙。 機械は、その場に立ち尽くした。 内部では、まだ警告が鳴っていた。 ――残り一体。 対象:◇◇◇ 機械は、自分の手を見た。 壊すための手。 『……ニンゲン』 その定義が、確定していた。 『……コワス』 だから。 機械は、自分を壊した。 完全に。 動きは止まり。 音は消え。 何も残らなかった。 それから、長い時間が過ぎた。 世界には、何もいなくなった。 人間も。 機械も。 争いも。 痛みも。 問いも。 何もかもが、消えた。 残ったのは、静かな世界だけだった。 小さくて。 暗くて。 何も起きない世界。 そこには、誰もいなかった。 みんな、笑っていた。
桔梗はまだ活動を続けている。