<《Story》> 1912年、オーストリア帝冠領は財政難とルーマニアからの要求を基にブゴヴィナ地域をルーマニアへ割譲した。 1914年、突如として勃発した大戦争。偉大なるドイツ帝国軍は対仏国境を固めつつロシアに大進撃を行っていた。太平洋方面では日本と戦闘を行っていたが、あえなく敗北した。 その陰でオーストリア=ハンガリーはセルビアへ攻撃を行い、北東部などを占領した。 1915年、ブルガリアはマケドニアの奪還などを目的に同盟国側にて参戦、これとオーハンによる圧、三正面が同盟国陣営となったこともあり、ルーマニアが同じほどの時期に同盟国側にて参戦。 同年、これらの3つの同盟国によってセルビアが撃破された。 同年、フランスの対ドイツ攻勢により東部戦線が手薄に、ロシアが反撃の大攻勢を開始した。 これによりルーマニアやガリツィア・ロドメリア、トランシルヴァニアなどが陥落し、同地域や二重帝国主要地域にて革命が発生。 これによりドナウ臨時政府が発足、連合国側と途中講和を行い、スラヴ圏の多くを割譲した。 これ以上の被害を避けるためにセルビアが講和。 ルーマニアはドナウからの援助やブルガリア・オスマンなどからの支援もあり本土を奪還。この勢いそのままにウクライナ地域を攻撃。 西部戦線がある程度膠着したため、ドイツは再度ロシアへ攻撃。 1916年、革命により発足したドナウ臨時政府はドナウ連邦へ国名を改め、ロシアへ宣戦布告した。 ロシアはこの猛攻に耐えきれず、ポーランドやウクライナ、白ルテニア、バルト地域、スオミなどを独立させて戦争から撤退。 西部戦線へより注力できるようになった同盟国陣営はシュリーフェンプランを実行、一週間でベルギー全域を占領した。 これによりイギリスが参戦、連合国による圧をうけギリシアが参戦。 ギリシアはブルガリアやルーマニアより猛攻撃を受け、3週間で降伏した。 その勢いそのままにパリまで到着、ヴェルサイユ宮殿にて講和会議が行われた。 東欧の国境は大きく変わった一方、西欧の変化は少なかった。 ドイツは対白対仏国境の一部を獲得し、その周辺のフランス領、イングランド南部を非武装地帯化。 それに加えてドイツのアフリカ植民地は拡大、2つの地域ごとに植民地政府が置かれた。 多量の賠償金が英仏伊などにかけられ、日本とは白紙講和を行った。 しかし、ドナウ連邦はガリツィア・ロドメリアの返還を求めたものの認められなかった。 1917年、アメリカの呼びかけにより国際連盟が発足した。 同年、ドイツは同盟国陣営をそのままドイツ同盟という枠に組み込む。しかし、ドナウやルーマニア、ブルガリアなどは離脱、ドナウ流域相互援助同盟を設立した。 ドイツ同盟にはドイツや東欧国家、オスマン朝トルコなどのみが残った。 1918年、大きな犠牲を出したにも関わらず領土を取れなかったイタリアでは社会主義革命が発生した。 ...この終末世界の生き方は誰にも知られていない。 世界の終わり方を眺めよう。