#3でっす表紙は適当 ____________ 「うわっ……。ねえ、ラットポー。この苔、なんでこんなに鼻がひん曲がりそうな匂いがするの?」 キャンプの隅、大きな切り株の根元にある長老の寝床へと向かう道中。 イリデセントポーは口にくわえた苔の塊から溢れ出し、ツンとした強烈な刺激臭に思わず顔をしかめた。 「それは『ネズミの胆汁』の匂いだよ、イリデセントポー。初めてだっけ? マダニを剥がれやすくするために必要なんだ。慣れるまでは、できるだけ鼻で息をしないように運ぶのがコツだよ」 一日早く見習いになったラットポーが、少し得意げに、でも自分も鼻をひくつかせながら教えてくれた。 イリデセントポーは言われた通りにしてみたが、口に苔をくわえている以上、どうしてもその「見習いの洗礼」からは逃れられない。 寝床の中に入ると、ひんやりとした静寂と、古い獲物の骨や乾燥した苔の混ざった独特の匂いが漂っていた。一番奥で、白髪の混じった灰色の毛皮を丸めているのが、アズール族で最も長く生きている長老、エルダーベリーだ。 彼女は僕たちが近づく足音を聞くと、ゆっくりと片目を開けた。そこには、長い年月を生き抜いてきた猫特有の、すべてを見透かすような鋭い光がある。 「……ようやく来たかい、小僧たち。その胆汁の匂いがしてきたってことは、クリアスカイの差し入れだね。さあ、さっさと始めな。背中のあたりが痒くてかなわないんだ」 エルダーベリーは、その匂いを嫌がるどころか、待っていたと言わんばかりに背中を向けた。長く生きている彼女にとって、この不快な匂いは見習いがやってくる合図であり、不自由な体を癒やすための、至極当たり前の「日常」の一部なのだろう。 イリデセントポーはラットポーの動きを見真似て、恐る恐るエルダーベリーの毛に潜むマダニに胆汁を塗りつけていく。指先に伝わるゴツゴツとしたマダニの感触と、逃げ場のない匂いに吐き気を堪えながら、必死に手を動かした。 「……痛っ! イリデセントポー、もっと丁寧にやりな。そんなに腰が引けてちゃ、マダニに笑われるよ。戦士になるなら、獲物の返り血もこの匂いも、自分の毛皮の一部だと思うくらいになりな」 「ごめんなさい、エルダーベリー。……でも、本当にすごいね。こんな匂いの中でずっと平気なんて」 「ふん、贅沢を言うんじゃないよ。……でもねぇ、お前さんのその毛皮」 エルダーベリーは不意に声を潜め、琥珀色の瞳でイリデセントポーをじっと見つめた。 「わしがまだ見習いだった頃、別の部族にいた一匹の戦士を思い出すよ。1番星と呼ばれていたかな。その猫も、お前さんのように不思議な輝きを放っていた。だが……光が強すぎる者は、往々にして影を引き寄せやすい。この森の西、太陽が沈む場所には『ナイトメアの森』と呼ばれる場所がある。そこには、スター族の光すら届かない、底なしの闇が沈んでいるんだ。あそこに近づきすぎてはいけないよ」 その時、寝床の外から賑やかな声が聞こえてきた。パトロールを終えたレッドクロウとフォースアウルが、わざとらしくこちらを覗き込んでいる。 「おいおい! 虹色の毛皮が胆汁で台無しじゃないか!」 「ははは! 見習い初日の仕事としちゃ、お似合いだな!」 揶揄う声に、イリデセントポーが耳を伏せると、エルダーベリーが短く鋭い威嚇の声を上げた。 「……うるさいよ、若造共! 獲物も満足に獲れないうちに威張るんじゃないよ! さあ、イリデセントポー。仕事の続きをやりな。奴らの言葉より、自分の爪の先にある仕事に集中するんだ」 仕事を終えた二匹は、ようやく解放された喜びで寝床を飛び出した。キャンプの中央まで戻ると、すぐにラットポーの師匠が彼を呼びに来た。 「悪い、イリデセントポー! 訓練に行ってくる!」 一人残されたイリデセントポーは、後片付けと報告のために再び看護部屋へ向かった。そこにはクリアスカイの姿はなく、シダの影に、捕虜であるロック族の元看護猫、クローバーハートが一人で座っていた。 「おかえりなさい、イリデセントポー。大変だったわね。……ラットポーにちゃんとコツは教わった?」 彼女の琥珀色の瞳が、静かに僕を射抜く。 僕はエルダーベリーの言葉が頭から離れず、思い切って彼女に尋ねた。 「ねえ、クローバーハート。君がロック族を追放された理由……教えてくれないかな。君は看護猫だったのに、どうしてアズール族にいるの?」 一瞬の静寂。風がシダの葉を揺らし、カサカサと乾いた音が響く。クローバーハートは深くため息をつき、重い口を開いた。 「……あの日、ロック族の見習いたちが遊び半分で『ナイトメアの森』の境界を超えてしまったの。嫌な予感がして、私は必死で後を追ったわ。けれど、辿り着いた時には……もう、誰一人動いてはいなかった」 彼女の声が、微かに震える。 「そこには、闇に紛れた一匹の猫がいたわ。猫の形をしているけれど、実体がないような……冷たく、濁った瞳をした猫。その猫は、亡骸となった見習いたちを一瞥して、私にこう言ったの。 『持ち帰って埋めてやれ。全部族に知らしめろ。___闇は迫っている。止める手段は存在しない』と。」 「闇……。そんな、スター族が守ってくれるんじゃ……」 「その猫は自らを『五等星』と名乗ったわ。私は泣きながら、動かなくなった見習いたちを引きずって森を出ようとした。そこをパトロール中のアズール族の戦士が通りかかって、手伝ってくれたの。でも……」 クローバーハートの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。 「彼と共にロック族のキャンプに辿り着いた瞬間、仲間たちは私を怒鳴りつけたわ。『アズール族と結託して見習いたちを殺した裏切り者だ』って。……族長も、私の話に耳を貸そうとはしなかった。真実を伝えようとすればするほど、彼らの目には私が、部族を裏切り、闇を連れてきた災いのように映ったのね。そうして私は、ロック族の戦士なら絶対入りたがらない、森へ放り出されたのよ」 クローバーハートの話は、あまりにも残酷で、そして現実離れしていた。 エルダーベリーが言った「光を呑む闇」の話。そして、このクローバーハートが見たという、自らを星の名で呼ぶ正体不明の存在。 「イリデセントポー、覚えておいて。あの森には、私たちが決して触れてはならない『何か』がある。その『何か』は、今も静かに、私たちのすぐ後ろまで迫っているのよ……」 看護部屋を出たイリデセントポーの背中に、じっとりと冷たい汗が伝った。 見上げれば、太陽は変わらず黄金色にキャンプを照らしている。 けれど、今のイリデセントポーには、その光の裏側にある影が、昨日よりもずっと深く、濃くなっているように感じられた。
前回 https://scratch.mit.edu/projects/1311068068/ 次回 まだ無し 登場猫 ・イリデセントポー(輝く足) ・エルダーベリー(老いたベリー) ・レッドクロウ(赤い鴉) ・フォースアウル(秋の梟) ・クリアスカイ(晴空(原作と名前被ってるのに気づかなかった申し訳ない))(看護猫) ・クローバーハート(元・ロック族看護猫) ・ラットポー(@ayane2012様より)