装甲重巡洋艦「雷電」(そうこうじゅうじゅんようかん らいでん) スペック 武装 五十五口径零式二十五糎連装砲×4 二式十七糎単装高角砲×4 五十口径三年式十四糎砲×12 九六式二十五粍三連装高射機関砲×24 九三式十三粍連装機銃×10 九三式十三粍単装機銃×7 零式六十一糎四連装魚雷発射管×2 電探 21号電探×1 24号電探×1 三式対空電探×1 搭載 潜海改×8 装甲 艦体両舷175mm 甲板100mm 艦橋85mm 主砲塔70mm バイタルパート200mm 速度 前進62km/h、後進29km/h 排水量 28590t 全長 204m 乗員 1890人
説明 大日本帝国海軍が1945年に就役させた重装甲重巡洋艦。重巡洋艦と言うには大き過ぎたその船体には控えめな10インチ、25.4cm砲を搭載した。全長は扶桑の205mより僅かに小さい程度で重巡洋艦にしては非常に大型だった。主砲はSAP弾で117mm、炸薬は14.8kg、APC弾で637mm、炸薬2.5kgと十分な火力を持ち至近距離では700mmの貫徹力を誇った。魚雷は一般的な九三式61cm酸素魚雷だが、十分戦艦を撃沈できた。名前の由来は北海道の雷電山から来ており、海軍内では航空機の雷電と混同されることがあり「雷電が空を飛ぶ?とうとう海軍は船を飛ばすのか?」や「局地戦闘機が巡洋艦を撃沈?」と言う勘違いがよく起きたが、終戦までそれへの対策が講じられる事はなかった。飛行機は潜海の水上機型を8機搭載でき、飛行機用の格納庫が存在し補給を行え発艦後は多目的スペースのように使用できた。艦内区画の防水処理は非常に高度で区画ごとに水位計があり区画の30%が浸水した場合艦橋の管制室に通報が届き、その後オペレーターが乗員に脱出を促し脱出を確認するとボタンを押す仕組みで、ロックは気圧と油圧を使用したロックがかかり区画の満水量の3倍の水量までに耐えられた。窮地の大日本帝国を救った影の立役者でもあり、同型艦の那岐(なぎ)、遠島(とおしま)、八面(やつら)、不入(いらず)と共に奮闘した。 主な戦歴 1945年7月 同型艦四隻と共に就役 1945年10月 朝鮮半島沖海戦に参加、オグネヴォイ級を一隻撃沈 1946年5月 赤一号作戦に参加、ウラジオストクを砲撃 1947年3月 シチリア作戦に参加、コメンスメント・ベイ級護衛空母を一隻、フレッチャー級駆逐艦を二隻撃沈 1947年6月 第四次ソロモン沖海戦に参加、小破した川内の排水を支援 1947年8月 第三次硫黄島沖海戦に参加、魚雷3本が右舷に直撃し大破、川内に曳航され横須賀で1949年まで修理 1949年4月 修理完了 1949年5月 ワシントン沖海戦に参加、大破した駆逐艦秋月を曳航 1952年8月 ワシントン沖大決戦に参加、500kg爆弾が艦尾に着弾し中破、川内に曳航され佐世保で1953年まで修理 1953年5月 米五号作戦に参加、ハワイを艦砲射撃し占領に貢献 1953年7月 日の出復員作戦に参加、4387名を日本本土に復員させる 1953年8月 赤城条約調印に同伴、空母赤城の左二番目に位置、終戦を見届ける 1954年1月 第二次世界大戦終戦の調印式に日本代表団として参加