潜水艦 「伊510号潜水艦」(いごひゃくじゅうごうせんすいかん) スペック 七式三十糎半連装両用砲×2 六式二十五粍三連装高射機関砲改×11 五式六一糎水中魚雷発射管×18 速度 水中 前進40km/h、後退24km/h 水上 前進50km/h、後退35km/h 全長 189m 排水量 水上26000t 水中32000t 乗員 1350人
説明 大日本帝国海軍が1947年に就役させた潜水艦。第二次硫黄島沖海戦やレイテ沖海戦にて既存の潜水艦の殆どが米駆逐艦に殲滅されたことから開発が始まった。本艦はその巨体を高速で動かすためにスクリューを前進用4と後進用2に分けて使用しており高速後進でき変則的な動きで爆雷を回避する。本艦の主砲は特徴的な反動吸収装置を持ち、小型のバネと仕切り板が何層にも重ねられた物を使用するが、構造上使い捨てで安全性を保って使用できる回数は100発限りになっており交換が必要となる。交換は艦内で行われ、主砲バスケットのボタンを押しロックを解除、昇降装置を上げ反動吸収装置を取り外し、同じくバスケットと連動して動く倉庫から予備をスライドさせ昇降装置にレールで移動させてから昇降装置を上げ再度セットするという複雑なステップを踏む必要がある。反動吸収装置の予備は25セット、1つ240kgありレール移動は人力。主砲は自動装填装置によって一律18.5秒での射撃が可能で、10射ごとに1分の冷却時間が定められているが効果があったかは不明。弾薬は主砲バスケットと連結する一次弾薬庫に400発、予備の二次弾薬庫に600発がある。一次弾薬庫が尽きると二次弾薬庫から人力で5発ごとの弾薬・装薬セットをレールに乗せて運ぶ。この間主砲は正面を向く必要があり無防備であった。本艦は耐圧殻を何重にも重ねたため2000mまでの安全潜航が可能で15分のみ2400mまで潜航できる。カセット式の酸素発生装置を備え1カセット24時間、最大で4セット96時間まで潜航でき酸素魚雷1本の空気を解放することで90分、64本全てを解放すれば96時間潜航できるが水中での攻撃能力を失う。本艦は耐圧殻を重ねたことにより実質的にRHA300mm相当の防御力と対水雷バルジの二つの役割を持ち防御力は通常の潜水艦のそれを大きく超えた。本艦の対空は通常の潜水艦より多く耐圧殻で覆われているため980mまでなら格納が必要ない。1000m以上潜航する場合対空砲は艦内に格納され主砲の砲身は砲塔内まで後退して格納される。本艦は主砲に250人×2、対空砲に15人×11、魚雷に10人×18、電探に155人、艦橋に100人、主缶に250人と乗員が非常に多い。寝室や食堂などはないがその代わり椅子にはクッションとリクライニングが付き床にはカーペットが敷かれ冷暖房完備と基本どこでも睡眠や食事がとれるようになっている。本艦がここまで高性能になった理由には軍部が大きく関係しており、砲撃と雷撃と装甲を両立した高速潜水艦を作れという無茶ぶりに答えたためこうなった。しかしコストは跳ね上がり一隻で重巡洋艦を旗艦とした小規模な艦隊を作れるほどの資金を必要とし同型艦は二隻しか居なかった。 主な戦歴 1947年 就役 1947年 シチリア作戦に参加、イラストリアス級空母1隻とソビエツキー・ソユーズ級戦艦1隻を撃沈 1947年 第四次ソロモン海戦に参加、戦果なし 1948年 第四次硫黄島沖海戦に参加、40.6cm砲が直撃し中破、小笠原泊地を経由して呉で1951年まで修理 1949年 同型艦の伊511が就役 1950年 同型艦の伊512が就役 1951年 修理完了 1952年 第四次千島列島沖海戦に参加、戦艦マラートを撃沈 1953年 第三帝国へ秘密出航、終戦後への秘密協議ハンブルク会談に参加する政府高官を乗せる 1954年 終戦、復員に努め24300人の兵士を帰還させる