1960年。現在も"48年組"の日は続いている。 帝国主義が史実よりも強化され弾圧が苛烈化した1948年に第二次諸国民の春が起こった、そんな世界線である。 --我々は、我々の運命が、我々の手の中にあることを確信している-- --クワメ・ンクルマ-- 【本筋(欧州+日米)歴史概略(※結論に入るまでが長すぎるので暇じゃないならヤメトケ(((いや普通に読みにくい)】 ロシアが史実と異なり南下政策で一定の成果を収め、双方が痛み分けに終わったWW1の前哨戦ことガリツィア戦争によって、英露の対立は深刻なものとなっていった。イギリスは新興国でパン=ゲルマン主義を採用しパン=スラヴ主義と対立するドイツと同盟を締結、一方でフランスはかねてよりスーダン利権やアルザス・ロレーヌを巡って英独と対立しておりロシアとの関係が強固に。またイタリアもフランスからのサヴォワ返還・チュニジア割譲の代わりに仏露協商に加盟。 またオスマン帝国は英仏の干渉の中でも近代化に勤しみイランと共に反露の姿勢を保った。既にバルカン半島はロシアの影響下にあるためオスマン帝国はアラブ人との協調姿勢を強化。これに青年トルコ党などは反発し以後汎トルコ主義と汎イスラーム主義の間を右往左往。 大戦の契機となったのはオーストリア帝国領土で起こったボヘミア蜂起であり、これをオーストリア軍・ドイツ軍が鎮圧にかかるがロシアがポーランドを経由し蜂起を支援。ここからスラヴ人の反乱が相次ぎ両者の対立はいよいよ炎を帯び、クラクフでのハンガリー系武装警察隊とポーランド系民兵の衝突を機にオーストリアとロシアは戦争状態に置かれそこから戦火は拡大。 史実より近代化を中央集権制の元で押し進め日露戦争で優位講和・露土戦争でも英墺の干渉を退けたロシアは一時期はチェコを解放しウィーン目前まで迫ったが、トランシルバニア南部の割譲を約束されたルーマニアの参戦により戦線は押し戻され、ルーマニア参戦のためにバルカン半島もロシア側は窮地に立たされた。 一方の西部戦線では、英独を相手にしたフランスには有効な反撃策がなく、以後はロシアの動向に頼っていく。 そしてそんなロシアも日本参戦・ハルビン暴動により二正面作戦となり、さらには戦争が長引いたことによってロシア革命が勃発してしまう。 この際ドイツは東欧に進出し勢力を拡大したが西欧にはあまり気を配っておらず、オーストリアは瓦解、イタリアが大イタリアを達成。 結局勝利か敗北かわからん状況で両者は停戦、西欧は概ね元の領域が維持された。 ただこの時の政府の無策に反発した人々は国粋主義的な政党に染まり、フランスは不安定な治世へと逆戻り。 そして米英独仏ソどれもが確実な覇権を確保できない中、帝国主義だけは一丁前に強化され独領ミッテルアフリカなどはインフラ整備の代わりに民族弾圧が苛烈化、イギリスも融和的政策から各地の反乱に伴い強硬策になっていく。 欧州では暫くはフランスやイタリアの拡張主義的政策に諸国が敏感に反応する状態が続いたが、アメリカとイギリスの銀行がほぼ同時期に暴落する「ブラック・チューズデー」により列強各国はブロック経済を形成し持てる国と持たざる国の経済的な幅が広がった。 この中で、日英同盟とアメリカは太平洋の権利をめぐって対立していたが、安直戦争によってイギリスの日本に対する懐疑的な姿勢が強まったことに加え、アメリカの交渉が伴いイギリスは日本の戦争には干渉しないことに。この背景にはソ連の国際社会への参入とソ連が内政に注力していたことによる欧州と日本で反共の必要性に齟齬が生じていたこともある。 なお、日本はスターリング・ブロックに属してはいたが、日本増長を危惧した英により他と比べ関税率が高く設けられていた。これによりあらゆる資源の調達が滞り、日本は自力での勢力圏確保に迫られる。 また、イタリアはフラン・ブロックが弱体であったことに加え、マルク・ブロックへの加入もできなかったために強烈な帝国主義に駆られ、史実より早くエチオピアへの侵攻を開始。史実以上に植民地に対する融和策をとっており、ソマリアのスルターンの協力もあってエチオピアを早々に制圧。そして後ろ盾を喪失したバルカン諸国を援助し勢力圏を拡大。しかしイタリアとしては英仏を仮想敵としていたのでこれ以上敵は作りたくない、とドイツとは協調。 フランスはまず前政権の非難から飛躍してイタリアからの領土の”奪還”とドイツへの復讐を掲げる。この対独の意図がイギリスと合致し英仏はこの後基本的にはセットで動くこととなる。 そしてフランスの開戦により第二次世界大戦が勃発し英仏連合はドイツ陣営に対し優位に振舞った。しかしここでドイツと協調し英仏を仮想敵としていたイタリアが参戦し状況は不透明に。これによりソ連はドイツ侵攻を燻り、ドイツの提案により不可侵が結ばれ二正面作戦は回避された。一方の日本は奉天と安徽の対立により対中支援が不安定化。また同じ体制のイタリアやイタリアと同じ陣営のドイツと組んだことで英仏やアメリカとの関係が悪化。その矢先にドイツから南洋諸島やインドシナの割譲を持ちかけられこれを承諾するとアメリカは猛反発し、そこからは史実。これによりアメリカは第二次世界大戦に正式参戦し独伊側は圧倒的不利に追い込まれ、ソ連もタイミングを見計らって不可侵を破って対独参戦しドイツ陣営の敗北は確定したようなものだったが、ここで日独どちらも連合の予想以上の粘りを見せた結果日本は米ソにより分割され、ドイツはファシズム体制崩壊後も民衆の力によって耐え続けソ連の増長を心配したイギリスの仲介で講和、南欧諸国はソ連あるいはイタリアの支配下となった。 こうして戦後秩序は確保される...かに思われたが、この間に日独伊同盟に触発された植民地や中立国はかなり多く、ベルギーやアイルランドの反乱、ベトナムの社会主義革命を皮切りに世界中で反大国反乱が発生し植民地は史実以上に急速に、かつ過激的な形で独立を成し遂げ、イギリスは反動化ののちに内戦、フランスは国粋政権の非難が高まり、アメリカは戦力を大幅に失い反動化、ソ連は獲得した勢力圏をほぼ全部失ったのである。 こうして48年組による新たな秩序が形成されていった。 【傍流歴史概略(主に南米)】 南米:ペルー=ボリビア連合がペルー南北統一を含め対等な立場・双方の合意で存続。これによりチリやブラジルによる更なる介入を招いたが、これが三国同盟戦争や硝石戦争に響いてくる。 パラグアイ戦争ではパラグアイがアルゼンチンへの侵攻を行わず、ウルキーサら連邦派カウディーリョの決起を待ち続け自身は南大河州に進撃しウルグアイと接続。これによりアルゼンチン中央派はブラジルと切り離されこれにより連邦派が蜂起し戦局はパラグアイ側優勢に傾いたが、ブラジルは軍事力をボリビアで費やしながらも練度は向上させナショナリズムも高めていたことに加え、アルゼンチンはそのまま内戦に突入し対伯参戦できなかったことから史実以上の耐え(?)を見せ最悪の事態を回避しつつ講和。 その後の硝石戦争ではパラグアイでの反省を活かしたブラジルによるアクレ戦争優勢の裏で、チリが奇襲に成功し硝石産地の掌握に成功(史実より難化しているが成功させたパターン)。 その後は特に大きな動きはなかったものの、グランチャコ戦争はパラグアイの優勢が確実だったことに加えペルーボリビアが内政重視だったために起こらず、代わりにエクアドル戦争が拡大した。ここからアメリカによる南米統率はままならなくなり、のちの1948年革命によりグランコロンビアが成立すると完全に大国の影響は排除され、南米は独自圏を形成したのである。 アフリカ:フランスやベルギーの敗北により独領ミッテルアフリカや英領西アフリカ連邦が成立したほかインフラは統治や資源運搬の円滑化による目的から全体的に強化され、鉱山も史実より早く開かれるなど地域の表面的な統一・発展は進んだ一方、イギリスの独立に関する三枚舌外交とドイツの対植民地における苛烈統治が絶望的に組み合わさり大変なことになった。 アジア:全体的に伝統主義と近代化が並行化し元から史実よりも強くはある一方ナショナリズムの高揚を招いた。中国に関しては最初の国民党はかなり弱体、またこれ以外に共産党右派が分離した人民党が存在。ともあれ近代化政党があまり強くなかったために軍閥闘争が激化した...ところを上手く南から突き上げて統一を達成した。史実より対日戦は日本の干渉が少なく日本が支援する軍閥が主体だった。人民党との連携により国民党は多少なりとも史実よりアカいし蒋介石や浙江系は統治者になれずとも有力な派閥としてはあるため国民党最大の混乱要因。 明確な力関係: アメリカ、フランス、ソ連、中国は明確な核保有国である。イギリスは核がどこいったかわからん状態なので危ない。ギリシャ、オーストラリア(東)、インドは核開発疑惑ありだがこれを止める術は旧大国にはほぼない。 なお技術だけなら日本、イラン、ドイツ、ポーランド、フィンランド、カナダにも存在する。
分岐: 露土戦争→ベルリン会議失敗 ↪︎英独協商成立 ↪︎ガリツィア戦争(英澳露参加)(痛分)+日露(優位講和) ↪︎ボヘミア蜂起(WW1の契機) ↪︎英投資によるオスマン帝国の改革促進・アラブ人和解 ↪︎イランの自立 ↪︎WW2敗北後の絶望感・近代化政策への失望 ↪︎モロッコ事件 英独躍進による帝国主義の補強 ↪︎三枚舌外交炸裂・強力なミッテルアフリカ ↪︎より"反共"が独立運動弾圧・反自由化運動を内包 澳の早期分裂 ↪︎ザパドスラヴ主義の台頭