信じ続けたわかば。守り続けたクアッド。 どうか二人の想いが、徒労に終わることになりませんように。 2026/05/24 本文少し変更、追加しました 本文↓ この世界では、食べ物や飲み物、まあ、とにかく、生活に必要なことをせずとも、呼吸さえしていれば、眠くなることもなかった。 昼夜という概念もない。ただ、白い景色が続いているだけ。 ハイカラシティに向かう中で、問題は別にあった。 ……うるさい。 幻覚だ。 この世界、なんとなく意識がぼやける時がある。 もう、何年歩いただろう。実際は、数週間だったんだと思うけど、そんな気分だった。 時々、諦めなよ、と、俺の心の弱さが訴えてくる。 だけどただ、ひたむきに、目的地へ、一歩ずつ。 そうして、何度も黒い魚に襲われたせいで、予想以上に遅くなってしまったが、なんとか、ついに、たどり着いた。 「やっと、か……」 ハイカラシティが遠くに見える。 半日後にはきっと広場に着く。そうすれば…… 現世に戻れる。 俺は足を早めた。 いや、早まった。 途方もない時間、孤独で過ごしていた。早くみんなに会いたい、その気持ちでいっぱいだった。 ーー 道中、一度黒い魚に襲われたが、なんとかしのぎハイカラシティの駅へ到着した。 駆け足で駅を出る。広場が見える。 ロッカーがある。扉が開いている。 あと少しでーー その時、再び黒い魚が現れた。 数が多い。倒し切るのに時間がかかるやもしれない。 「ここまで来たら、確実に行こう」 落ち着いて、全部倒してからロッカーを確かめよう。 冷静に…… 俺は襲いかかってきた小さな魚を躱し、インクを浴びせる。 魚たちは次々に現れ、連携を取り、俺に襲いかかる。 ーーふと、俺の頭に一つの疑問がよぎる。 この世界で死んだら、どうなるんだ? 死ぬのか?そもそも、ここはどこだ。なぜ俺たちは、電車にいたのに急に飛ばされたんだ。 しかも、俺とわかばさんを、ピンポイントで狙うようにして。 意図的ではないのか?そういえば、スパッタリーさんが、神隠しの話をしていたような…… なにはどうあれ、現世に戻ることが最優先か。 俺は考えを捨て、目の前の戦闘に集中しようとした。 その時。 「おや、予想よりお早い到着ですね。危ないところでした」 「まさか……デンタル!」 魚の群れの奥から出てきたのは、デンタルだった。 デンタルが前に出ると、魚たちは動きを止めた。 「建物の倒壊に巻き込まれたはずじゃ……」 「ああ……ホットは巻き込まれてしまいましたが、私は実質的に不老不死ですので」 「不老不死だと」 何を言っているんだこの男は。そんなことが現実で起こるはずがない。 デンタルのアビリティは記憶操作。不老不死に関連するものでもない。 ……いや、まて。 「お前、なぜ死んでいないんだ」 「不老不死だからと言っているでしょう」 「お前のアビリティの制約だよ、寿命を削るはずだ」 「ですから、不老不死なのですよ」 つまり、デメリットなしで記憶を自由に操れる、と…… なかなかのチートっぷりだな。 そもそもなぜ不老不死なのかも気になるが、もし本当なら勝ち目がない。 いや、不老不死とはいえ意識を失わせることはできる。その隙にボタンを回収して、現世に戻れば。 「どうやら長い旅のせいで思考がお粗末になっているようですが、あなたは今、“詰み”だと自覚していますか?」 「どういうことだ」 「私がこの世界を作った張本人です。ここは記憶の世界、つまり管理者は私なのです」 記憶の世界……? 秩序の世界じゃないのか。いや、似たようなことだ。記憶を改ざんすれば秩序を保つのは容易い。 「……俺はここから出ることができない、というわけか」 「いえ、出ることはできます。ですが、私の権限でまた引き戻します」 「なぜわかばさんは帰した。お前はわかばさんを殺そうとしていたはずだ」 「実験をしてみたくなりまして……」 そういうとデンタルは俺に詰め寄る。 俺は距離を取り警戒をした。 「おっと、この詰みの状況であなたに危害を加えるつもりはありませんよ。ただ話がしたいだけです」 「ならアビリティの効果範囲外で話せばいいだろう」 「あなたに見せたい記憶があるのです」 デンタルは不気味な笑みを浮かべた。 だが殺意自体は感じない。信用もできないが。 もしデンタルの言っていることが本当なら、完全に詰みだ。 ……もう二度と、みんなには会えない。 「近づいてもよろしいですか」 「……好きにしろ」 無駄だ。 戦ってもいい。世界一位のプライドに賭けて。 だけど、俺にそんな気力はもうなかった。 見ていた希望が幻想だと分かった。もう先に待つのは地獄しかないだろう。 デンタルは俺に近づき、手を掲げた。 「現世では、五年の月日が流れています。こちらでは五週間ですが」 「……一つだけ教えてくれないか」 「なんでしょう」 デンタルは手を少し下ろし、聞いた。 「わかばさんは、俺のことを覚えていたのか」 「……ええ、彼女には驚かされましたよ。ですが、私の実験の邪魔だったので完全に消させてもらいました」 「そうか」 不思議と怒りは湧いてこなかった。 それどころか幾分か救われた気がした。 心のうちのどこかで、もし時間軸がズレているとしたら、あの子が俺に囚われる形になってしまうのは申し訳ないと、思っていた。 「現世では、あなたがいない世界でどうなっているか、お見せしましょう」 デンタルは再び手を掲げた。 と同時に、記憶が流れ込んでくる。 ーーみんな、笑っている。 最初から、俺がいなかったのと同じみたいに。 「あなたがいない五年間で、あなたの知り合いはみな生活が一変しました」 「師匠はどうした、見当たらないが」 「寿命です。亡くなりましたよ。時間操作での止まった世界の中でも彼女の肉体は歳をとり続けますからね」 ……わかっていた。 「スパッタリーさんも見当たらないが」 「彼女は逃亡中です。なんでも知り合いの情報屋がドジをして危険な組織に情報が漏れたようで」 「デュアル、一人暮らしを始めたんだな」 俺の家にいた理由。それはケルビンのトラウマが度々思い出され、怖くなってしまうからだった。 「……わかばさんの隣にいるのは誰だ、知らない顔だが」 「彼女の婚約者です」 ……わかっていたんだ。 幸せになってくれてよかったじゃないか。 俺がさっき望んだことだ。 「出会いは……」 「その話はいい」 俺はため息をついた。 デンタルは不敵な笑みを浮かべ言った。 「あなたに帰る場所はありません」 「……そうだな」 「必死になる理由もありません」 「……」 「あなたのことを想う人も、味方も、今まで築き上げてきた名誉さえも、もう残されていないのですよ」 「…………そうだな」 俺はブキを構えた。 「なら俺は今からするのは、ただの個人的な腹いせ、八つ当たりだな」 「望むところです……あなたはやはり面白い」 デンタルは大きく跳び下がった。 それに呼応するように大量の魚たちが一斉に動き出した。 攻撃をするが数がとにかく多く、後退を余儀なくされる。 ジリ貧。 不利というレベルじゃない。 実力、才能、関係ない。 「最悪だよな、ほんと」 予知を使ったが映るのは迫り来る黒いインクのみ。 宙を飛んでいた魚が俺の肩付近で爆発した。 俺は吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。 「世界一位も、精神的に疲労している今はこんなものですか……残念です」 「……最期に教えてくれ、お前は本当に不老不死なのか……」 デンタルはニヤリと笑い、言った。 「未来を固定する装置が作れるのです。クローン生成など……容易いでしょう」 「そういう不老不死かよ……想像してたのと違うんだが」 老いも死も訪れはするのか。 ただ残機が無限なだけで。 俺は予知を使った。 ーーどの未来にも、俺が、映っていた。 「さようなら、“元”世界一位……」 魚たちは俺に迫った。 「楽しかったですよ、あなたほど楽しませてくれた人物は、後にも先にも現れないでしょう」 デンタルはそういうと、背を向けて歩き出した。 迫り来る魚たちを前に、俺はつぶやいーー 「……いや」 妹が言わなかったのに。 ……言えなかったのに。 俺が言うのは、ずるいよな。 それに俺は。 最期まで、求められる側でいたい。 「……わかばさん、俺はもっと君のことをーー」 伸ばした手は、誰に届くこともなく、静かに落ちた。 ーー それから、現世時間で数日ほど経ったある日。 わかばはいつものように、女子会に参加していた。 「それでさー、ご飯誘われたのはいいけどいざ行ってみたらめっちゃ私服ダサくて」 雰囲気のいいカフェで、デュアルが愚痴をこぼしていた。 「顔はいいんだけどね?ちょっと私服が……」 「一緒に洋服屋さんに行ってあげればいいんじゃないの?」 コーヒーを一口飲み、言ったのはスクリュー。 すっかり雰囲気は変わり、さっぱりとした見目、性格になっている。 「それがさ、別の人からも今言い寄られてて」 「ほんと?デュアルモテ期じゃん」 スクリューはカップを置いて言った。 「わかばはどうなの?上手く行ってる?」 「えっ、あ、はい!籍ももうすぐいれますし、式も数ヶ月後には……」 「わかば、また敬語出てるよ」 「あ、ごめん!」 「四人の中では年齢、立場関係なくため口って言ったでしょ」 わかばは少し照れくさそうに目線を落とした。 「なんか、慣れなくって……」 「わかる、スクリュー大人って感じするよね」 「言っとくけど、年齢違うのデュアルだけだからね」 「それは言わない約束でしょ!」 わかばはくすっと笑いスマホを見た。 通知が何件か来ている。 「そういえば、今日はもみじはなんでこなかったの?」 「デート中なんだよね……」 「えっ!?」 デュアルはわかばの隣に来てスマホを覗いた。 「上手く行ってるみたい、イケメンだし気遣いできるって」 「いいなー私もそんな彼氏が欲しいー!」 スクリューはわかばを読心し内容を確認すると、つぶやいた。 「男は何歳?」 「同い年みたいです」 「ふーん」 コーヒーを飲み干し、代金を置いてスクリューは立ち上がった。 「このあと予定あるから、じゃあね」 「あ、スクリューはどうなの?相手とか!」 「まあ、たくさんいるよ」 「え?」 それだけ言ってスクリューは去っていった。 「今たくさんって言った?」 「夜遊び……かな」 わかばは苦笑しながら言った。 ーー
本文↓ この物語も完結しました。完全に趣味かつ自己満で書いてたので、誰かに見られるとか、そういうのに期待はしていませんでしたが、見てくださった方、本当にありがとうございます 物語を通しての裏事情、伏線、シーンごとのキャラたちのセリフの深掘り、本当の意味などの考察を、今後出していく予定ではいますので、そちらもご覧になっていただけると幸いです 敬語苦手だからやめるね((((((((((( 第二期とか、番外編とか、書いて欲しいのあったら言ってね 番外編は好きなキャラ言ってくれればフォーカス当ててリッターのやつみたいに書くよ!一応全員の過去頭に入ってるから それから解散した二人は、それぞれそのまま帰路に着いた。 そんな中、いつもの抜け道である路地裏を通ろうとした時。 「お久しぶりですね」 どこか聞き馴染みのある声が聞こえて、振り返った。 そこには、見覚えのない男が立っていた。 「誰ですか……?」 「あなたの……そうですね、仇、あるいは宿敵でしょうか」 「……?」 デンタルはわかばに一歩近づいた。 「私は知りたいのです、あなた方がそれほどまでに大事にしていた感情が、どういうものなのかを……」 「はい……?」 わかばは怪訝そうに聞き返した。 「思い出しなさい、そして、その反応を私に見せてください」 デンタルが手を掲げると、わかばの頭にはどこか懐かしい声が響いた。 「誰……」 「一度に思い出させるより、やはりじわじわと……」 デンタルは不気味な笑みを浮かべ、そういうと背を向けて去っていった。 「楽しみにしていますよ」 ーー 家に戻り、ソファで会話をしていたわかばは、たびたび意識が薄れる感覚に襲われた。 「わかば?」 「あっ、ごめん、なんて?」 「大丈夫?寝不足とか?」 「ううん!ごめん、ぼーっとしてただけだよ」 あれ以来、わかばの頭の中に時々、見覚えのある、でも、どこで見たかはわからない記憶が浮かんでくる。 その記憶には決まって同じ人が映っている。 「ねえ、クアッドって人、知ってる?」 「クアッド?聞いたことないけど、有名人とか?」 「……聞いたことないならいいや!ごめんね、話の続きしよ!」 (なんだろう、この胸のひっかかり……) なぜか、わからない。 けど、わかばの心には、ぽっかりと穴が空いてしまっていたようだった。 幸せだ。 けど、違和感がある。なにか足りない。 あの日から、そんな気持ちだった。 「なにか、悩んでる?俺にできることがあれば、言って欲しい」 「ううん!本当に、わたしにもなんだかわからないって言うか……」 自分で言った言葉の響きが、あまりにも自分自身を裏切っているような気がした。 わかばは反射的に、無意識に、目を逸らす。 友達、家族、大事な人。 全部いる。 お金も、住むところも、時間も、夢中になれることもある。 なにも足りないことなんてない。 そのはずだった。 ーー 「それでさ、この間の男めっちゃかっこよくて!」 「……わかば?」 スクリューが小さく問いかける。 わかばはうとうとしているような感覚でいる。 「大丈夫?寝不足っぽいけど」 「ううん、夜はちゃんと寝てるんだけど……」 突然、頭に強烈な痛みが走った。 わかばは頭を抑える。 「いっ……!」 「だいぶ酷いね、家まで送ろう。タクシー呼んでくる」 「……大丈夫、痛み引いたから」 立ち上がったスクリューは足を止めた。 「……僕に嘘が通用すると思ってるわけ」 「えへへ、敵いませんね……」 「わかば、心当たりはある?もみじはなんともないから、双子とかアビリティに関するものが原因じゃないと思うんだけど」 「わかんないかな……」 スクリューは店を出てタクシーを呼びにいった。 デュアルはお会計を済ませ、もみじが付き添った。 「ね、もみじ、クアッドって人、わかる?」 「知らないけど……どうしたの、急に」 「ううん、なんか、最近よく夢とか、たまに頭に浮かんだりとかして、どこかで見たことあるような気がしてるんだけど、わからなくて」 「そのクアッドって人が原因かもってこと?」 わかばは少し黙り、答えた。 「ううん、多分違う、根拠はないけど……」 「あっ、タクシー来たみたい」 その日は四人でわかばの家まで付き添い、送り届けた。 この頃を境に、稀にこのようなことが起きるようになった。 ーー それから数週間、その状態は続いた。 ことあるごとに、記憶が頭の中で響く。 わかばはなにか大事なことなんじゃないかと、思い出すことを決めていた。 「もみじは、クアッドって人、ほんとに知らないよね」 「うん、思い返して見たけど、そんな人聞いたことないかな。その人が、頭によく浮かんでくるんでしょ?」 もみじはコーヒーを一口飲んで言った。 わかばはカップを置いて話し始めた。 「なんか、最近頻度が増えてて、もう少しでなにか思い出せそうな気がするんだけど」 「アビリティかなにかの影響受けてるんじゃない?封緘で解いてみたら?」 「解くって言っても名前がわからないと使えない……」 わかばは急な頭痛に頭を抑えた。 「大丈夫?」 「とりあえず、クアッドって人でやろうかな……」 「じゃあ早速解いてみたら?」 「うん……封緘」 「……どう?」 わかばは少し黙ってから口を開いた。 「特に変わりないかも」 「じゃあクアッドっていうのも、もしかしたら名前じゃないのかもね」 「……考えすぎかも」 わかばはカップを持ってコーヒーを一口飲んだ。 その直後、わかばの手から落ちたカップは地面に落ちて割れた。 「大丈夫わかば……」 「あ……」 もみじが顔を上げると、わかばの目からは大粒の涙が流れていた。 「わかば?どうしたの!?」 「クアッド……さん…?」 わかばの呼吸はだんだんと不安定になり、視界が回る。 手が震え、もみじや周りの声が遠くなっていく。 わかばは地面に倒れ込み、頭を抑えている。 「わたし……なんで、クアッドさんは、違う、違う違う違う……助けて……」 「わかば?大丈夫?しっかりして!誰か!!救急車呼んでください!!」 「もみじ、助けて……クアッドさんが……」 わかばはすがるようにもみじに手を伸ばす。 「わかば、救急車すぐ来るから、頑張って、大丈夫だから!」 「あ……」 わかばが気を失う直前見えたのは、窓に反射して見えた、自身の目から流れる一筋の赤い涙だった。 ーー わかばが目を覚ましたのは、一週間が経ったある日のことだった。 目が覚めると、病院の一室で、ベッドに仰向けになっていた。 体を起こして周囲を見回す。 隣には、時間がある時はずっとそばにいてくれたであろう婚約者が寝込んでいた。 わかばはその姿を見て、涙をこぼした。 「わたしは……どうして……」 わかばが思い出した記憶の中には、クアッドの最期も含まれていた。 「わたしが……忘れたせいで……」 泣いていると、病室に入ってきた看護師がわかばが目覚めたことに気づき、医師を呼んできた。 意識を失った原因は、脳への負荷が主な原因だと判断したらしい。 一週間近く寝込んでいたのは、二年ほどの記憶を一度に思い出したため、脳がそれを処理しきれず、時間がかかったのだ。 だが、それはわかばしか知らない事実。 今クアッドのことを覚えているのは、わかばと、デンタルのみだった。 ーー それからわかばは、外へ出る頻度が減った。 バトルにもほとんどいかない。友達と会うこともしなかった。 同棲しているはずの婚約者と顔を合わせることも、少なくなっていった。 「わかば、俺、この家を出ようと思う」 「……うん」 そう言われて、その一言しか出てこなかった。 精一杯だった。抱えきれないものを背負わされて、誰にも渡すことすらできない重みで。 どうしようもない。 忘れないと誓った。必ず助けに戻ると。 愛していた。添い遂げると決めていた。 支えると言った。言ってくれた。 いろんなことを教わった。 辛いことも、楽しかったことも、共有した。 ーーもう、いない。 約束を破った。 別の人を愛した。 何を思っただろう。 最期に、助けてと言いたかった彼は、幸せな自分を見て、何を思っただろう。 気がつくとわかばは、家を飛び出していた。 ただ走った。 路地裏へ。 息を切らして立ち止まると、声が聞こえた。 「思い出しましたか」 そこには、満足そうな笑みを浮かべているデンタルがいた。 「お前……」 「もう少しあなたを観察させていただきます。期待していますよ」 背を向けるデンタルにわかばは叫んだ。 「ふざけんな……返せ、返せ!!」 「先ほどからあなたにしては言葉が少々汚いのではないですか?」 デンタルは振り返り、言った。 「……ところで、それはどちらを、でしょうか?」 「……なにが、ですか」 「あなたが返して欲しいのは、世界一位のクアッドか、それを知らなかった頃の生活か」 わかばはハッとした。 デンタルは不気味な笑みを見せ、去っていった。 わかばは答えられず、その場に立ち尽くしていた。 ーー その日は、わかばは家には戻らなかった。 (助けて……か) わかばは一人、夜空に輝く満点の星空の下、誰も来ないはずの廃ビルの、屋上で寝転がっていた。 綺麗だな、と、思うことはない。 今はただ輝いているだけの星が妬ましい。 そんな気分で。 (クアッドさんは、誰に向けて……いや……) 自分じゃなかったらいいな、と、心の底から思う。 わかばはゆっくりと、迷いながらも、立ち上がって、今一度空を見上げた。 星の光を隠すように、大きな雲が現れる。 ずっと、胸の奥に引っかかっていた言葉。 言えなかった。 わかばは、一人、静かに目を閉じた。 そして最後に、自分でも、本心かどうかわからない言葉を口にした。 「こんなに苦しむならーー」 独り言は、夜の冷たい空気に呑まれて、ぼんやりと薄れていった。