目が覚めると、カーテンの隙間から差し込む朝日は不機嫌なほど眩しかった。 世界が終わる最後の朝だというのに、太陽はいつも通りに東から昇ってくる。 ホテルの部屋を出て、シスコ号を走らせる。 目的地の海までは、あと少し。だけど、燃料メーターの針はすでに赤い危険地帯(エンプティ)を指していた。 「チッ、ここまで持ってくれた方だけどな……。ハル、ちょっとあそこのスタンド寄るぞ」 アキ姉は国道沿いの、やはり誰もいなくなったガソリンスタンドに車を滑り込ませた。 給油ノズルをシスコ号の給油口に差し込み、レバーを引く。ガソリンの独特な匂いが鼻を突く中、アキ姉は「まだ地下タンクに残っててよかったわ」と胸を撫で下ろした。 私は暇つぶしに、ガラスが割れたスタンドの事務所に足を踏み入れた。 散らばった書類や領収書。その奥、事務机の引き出しが半分開いているのが目に入った。 何気なく覗き込むと、埃をかぶった四角いプラスチックの塊があった。 「……ポラロイドカメラ?」 今時珍しい、レトロなインスタントカメラだった。横には未開封のフィルムパックが一つ。 私がそれを手に取って表に出ると、給油を終えたアキ姉が「お、なんだそれ」と覗き込んできた。 「事務所で見つけた。動くかわかんないけど」 「マジ? 懐かしいな。ちょっと貸してみ」 アキ姉はカメラを受け取ると、手際よくフィルムをセットした。カシャ、ウィーン、と機械が鈍い音を立てて起動する。まだ電池は生きているみたいだ。 アキ姉は突然、カメラのレンズを私に向けて、片目を細めた。 「ほらハル、こっち向け。笑え笑え」 「ちょっと、やめてよ。寝起きだし、おでこ出たままだし……」 私が咄嗟に顔を背けようとした、その瞬間だった。 カシャッ。 鋭いフラッシュの光が、昼間の太陽の光に混ざって弾けた。 カメラの下から、真っ白な四角いフィルムがウィーンと吐き出される。 「あ、撮ったなアキ姉!」 「ひゃはは! どんなマヌケ面か楽しみだな。……よし、次はツーショットだ。こっち来い」 アキ姉は長い腕を伸ばして、私の肩をグイッと引き寄せた。 断る間もなく、アキ姉の金髪が私の頬に触れる。昨日の夜、ベッドの中でずっと嗅いでいた、あの甘い煙草と洗剤の匂いが鼻腔をくすぐって、心臓がまたトントンと跳ねた。 アキ姉はカメラを自分たちに向け、ニカッと白い歯を見せて笑う。 私は、どうしても上手く笑えなくて、だけどアキ姉の体温が嬉しくて、少しだけ口元を緩めた。 カシャッ。 二枚目のフィルムが吐き出される。 アキ姉は「どれどれ」と言って、二枚のフィルムをパタパタと空気中で振った。ポラロイドの画像は、時間をかけてじわじわと浮かび上がってくる。 私たちはシスコ号のボンネットに腰掛けて、二人の間に並べた四角いフィルムをじっと見つめた。 薄暗い灰色の画面から、少しずつ色が変わっていく。 一枚目。おでこを出して、嫌そうに顔を顰めている私の姿が、ぼんやりと浮かび上がってきた。 「ほらな、やっぱりマヌケ面」 「うるさい。アキ姉が急に撮るからでしょ」 笑いながら、二枚目のフィルムに視線を移す。 肩を並べて、アキ姉が笑っていて、私がその隣にいる、二人の写真。 だけど。 「……あれ?」 いくら待っても、二枚目の写真は綺麗に映らなかった。 経年劣化のせいだろうか。それともフラッシュの加減だろうか。 現像されていく二人の姿は、輪郭がぐにゃりと歪み、まるで白い霧の中に溶けていくように、激しく白飛びしてしまっていた。 金髪のショートヘアも、私の黒髪も、重なり合った肩の境界線も。 すべてが光の中に消えていくような、不確かな輪郭。 「あーあ、フィルムが死んでたか。現像失敗だな、こりゃ」 アキ姉は残念そうに笑って、白く濁った写真を指先で弾いた。 私は、その写真から目を逸らすことができなかった。 白く、消えかけている私たち。 まるで、あと十数時間後に訪れる、あの巨大な光の終わりを予感させているみたいで、急に指先が冷たくなる。 私たちがここに生きていた証拠。 お互いに出会って、真っ赤なアメ車でハイウェイを走った証拠。 世界が終わったら、この写真を見る人は誰もいなくなるけれど。それでも、何かを残したかった。この白い霧みたいな写真じゃなくて、もっと鮮明に、私たちがここにいたことを——。 「アキ姉」 「ん?」 私は、白くぼやけた写真を自分のポケットに押し込むと、アキ姉のTシャツの袖を強く引っ張った。 「……早く行こう。海、間に合わなくなっちゃう」 アキ姉は私の顔をじっと見つめ、それから、すべてを察したように優しく微笑んだ。 「おう。シスコも満タンだしな。アクセル全開で行くぞ、ハル」 アキ姉はカメラをボンネットに置いたまま、運転席へと飛び込んだ。 再び、V8エンジンの猛烈な爆音がガソリンスタンドに響き渡る。 現像されなかった私たちは、それでもお互いの体温を確かに胸に刻んだまま、最後の目的地へと向かって、真っ赤な車を走らせた。 世界が終わるまで、あと、20時間。
残り20時間。世界の終わりが肌で感じられるほど近づく中、ついに「他人のエゴ」が2人の前に立ちはだかります。 時系列順マップの第10話、ちょっと不穏で、でもアキ姉の男前な頼もしさとハルへの過保護っぷりが最高に光るトラブル回です。 第10話:地獄のハイウェイ・強盗団(ただし一般人) 海へと続くハイウェイは、昨日までとは明らかに空気が違っていた。 乗り捨てられた車が車線を塞ぎ、遠くの空からはずっと黒い煙が立ち上っている。略奪、暴動、あるいは絶望した人たちの狂気。世界の秩序は、砂の城みたいに音を立てて崩壊していた。 ガガガガッ、とシスコ号の行く手を阻むように、一台の古びた軽自動車が斜めに割り込んできた。 アキ姉が急ブレーキを踏む。激しいタイヤの摩擦音が響き、私の身体がシートベルトに強く拘束された。 「チッ……、何だあいつら」 アキ姉がハンドルを握ったまま目を細める。 軽自動車から降りてきたのは、バットや鉄パイプを手にした三人組の男たちだった。 髪はボサボサで、目は血走り、服は薄汚れている。一見すると世紀末の暴漢だけど、その腰の引けた構え方や、怯えを隠すような大声で、彼らがただの「普通のおじさんたち」だと分かった。世界が終わる恐怖に耐えかねて、暴徒の真似事をしているだけの一般人だ。 「おい! その車、ガソリン残ってんだろ! 寄こせ!」 「中の女二人も降りろ! 荷物も全部置いてけ!」 鉄パイプでシスコ号のボンネットをガン、と叩く音が車内に響く。 私は恐怖で身を硬くし、座席のシートをぎゅっと握りしめた。心臓が嫌な速さで脈打つ。ついに、こういう連中に出くわしてしまった。アキ姉がいくら喧嘩が強くても、相手は武器を持った男三人だ。 「……ハル」 アキ姉が静かな声で私を呼んだ。その横顔には、焦りも恐怖も一切なかった。 ただ、冷徹なまでに据わったヤンキーの目が、フロントガラス越しに男たちを射抜いている。 「大人しく席に座ってろ。耳塞いで、目ぇ瞑ってな」 「アキ姉、でも相手は——」 「いいから。お前の綺麗な目に、こんなクソみたいなもん映したくねえんだよ」 アキ姉はダッシュボードの奥から、ずっしりとした金属製の工具レンチを取り出した。 そして、不敵な笑みを浮かべると、運転席のドアを勢いよく蹴り開けた。 「おい、そこ退けよ、おっさん。このシスコのボディに傷つけたら、世界が終わる前にテメエらの骨、全部バラバラに解体するぞ」 アキ姉の声は低く、ハイウェイの風を切り裂くように響いた。 男たちが怯んだ隙を、アキ姉は見逃さなかった。長い足を一歩踏み出すと、先頭の男の手首を容赦なくレンチの柄で叩き折る。金属音が響き、鉄パイプがアスファルトに転がった。 「ぎゃあああッ!?」 「次、どいつだ? ああ?」 アキ姉は金髪を乱暴に揺らしながら、残りの二人を睨みつけた。背が高く、タンクトップから覗く腕のラインが、夕日に照らされてひどく男前で、圧倒的に強そうだ。 本物の修羅場をくぐってきたようなアキ姉の威圧感に、暴徒になりきれなかったおじさんたちは、恐怖で完全に顔を青ざめさせた。 「ひっ……、ば、化け物……っ!」 「待て、悪かった! 悪かったから!」 二人は怪我をした仲間を抱き起こすと、蜘蛛の子を散らすように軽自動車に逃げ込み、猛スピードでバックして去っていった。 静寂が戻る。 アキ姉はふぅ、と息を吐くと、レンチをプラプラと回しながら運転席に戻ってきた。ドアを閉め、レンチを足元に転がす。 「ふぅー、ビビらせやがって。ハル、大丈夫か? どっか痛むとこねえ?」 さっきまで鬼みたいな顔をしていたくせに、私に向き直ったアキ姉の顔は、いつもの心配性なお姉さんの顔に戻っていた。私の肩や腕を、怪我がないかペタペタと触って確認してくる。 「……大丈夫。アキ姉、強すぎ」 「だろ? 伊達に地元で無敗を誇ってねえよ」 アキ姉はニカッと笑って、私の頭をがしがしと大きな手で撫で回した。 「あのさ、ハル」 「何?」 「世界が終わるからって、何してもいいわけじゃねえんだよ。あいつらみたいに、怯えて他人のもん奪うようなダサい死に方、私は絶対にゴメンだね」 アキ姉はハンドルを握り直し、シスコ号のエンジンを力強く吹かした。 「私は最後まで、私のルールで走る。ハルを隣に乗せて、一番綺麗な海に行く。それだけ」 流れていく荒廃したハイウェイの景色の中で、アキ姉の横顔だけが、世界の誰よりも気高く、美しく見えた。 この人が隣にいてくれるなら、どんな地獄が迫ってきても怖くない。私は助手席のシートに深く背中を預け、アキ姉の運転するシスコ号の振動を、心地よく全身で受け止めていた。 世界が終わるまで、あと、15時間。 【次回】