スペック 武装 安式五十口径三十糎五粍連装砲×2 安式四十五口径三十糎五粍連装砲×4 八九式四十口径十二糎七粍連装高角砲×16 九八式八糎連装高角砲×23 九六式二十五粍三連装高射機関砲×27 九三式十三粍連装高射機銃×2 九五式爆雷×60 五式対水雷爆雷発射器×8 装甲 船体両舷205mm 甲板76mm バイタルパート305mm 速度 前進40.5km/h、後進12.2km/h
説明 大日本帝国海軍が1945年に再就役させた弩級戦艦。レイテ沖海戦やソロモンでの度重なる海戦で大型艦を殆ど失い大和は大破し横須賀で入渠中とまともな戦力を失った日本軍は苦肉の策として旧式の戦艦を再就役させる昔日計画を実行、それによって摂津は一部の特務艦や装甲巡洋艦と共に再武装された。本艦は第三次ソロモン海戦の直後から唯一残る大型艦と言う立ち位置から真っ先に改装が始められ、特に対空砲が大量に搭載されその見た目は水兵から「楊枝刺しの金継ぎ戦艦」と呼ばれたがその蔑称とは裏腹に摂津の半径1.5kmにすさまじい防空圏を形成した。本艦は要塞砲に転用された旧河内の30.5cm砲を元々の配置で搭載し度重なる爆撃の弾痕を突貫工事で一部コンクリートや銅合金を使用しながらも修復した。本艦はとにかく対空兵装が増設され甲板上や艦橋の空きスペースにはもちろんのこと対空への執念は煙突同士の隙間にトラス構造を設けその上に対空砲を搭載すると言う奇行にまで至った。主砲はこの時代では旧式化していた物のもっぱら対空と柔目標への攻撃を主任務とするため貫徹力の低さは対して問題にならなかった。また対水雷バルジをサルベージした巡洋艦から剥ぎ取り二重にして装着しそのせいで本来45km/hまで出るはずだった速力が5km/h落ちた物のさほど問題にはならなかった。ケースメイト砲は取り外す暇が無かったためやむなく時限信管を使用出来るようにして対空を行った。高角砲は本土防空の物、サルベージされた物、駆潜艇から取り外した物、撤退寸前の諸島部から取り外した物、新しく生産した物、全てをかき集め単装ならつなぎ合わせてまで搭載、機銃に至っては何処から持ってきたかすら不明な物が多数ありとにかく対空への執念は伝わる物となった。そして再就役を目前とした1944年、武蔵がレイテ沖海戦にてあえなく轟沈したという報が届くと自体は一転、まだ対空が足りないとさらに対空兵装が増設されると共に摂津は非常に鈍重かつ回避軌道を取ることが難しいため魚雷を逆に迎撃するという新発想の五式対水雷爆雷発射機を装備した。ちなみにこの対水雷爆雷発射機は本来大和、武蔵、長門に搭載する為に開発されその3隻にのみ搭載されるはずだったが武蔵は沈没し長門は対空が重視され大和は特攻に駆り出されると言った状況で想定より余ったため摂津に搭載された。旧式艦の最期の意地とも言える摂津は想像より戦果を上げ米軍は本国の水兵達とは対照的に摂津を「ラスト・サムライ」と呼称した。