世界にはかつて、空を燦然と輝かせる「黎明樹」が存在したという。枝葉は大地の隅々まで広がり、種を撒き、人々は根から湧く光を「朝」と呼んだ。 だが、黎明樹には、呪いがあった。 かの大樹は、苦しみを吸い上げ、祝福を齎す代償として、人々の記憶を奪った。その記憶を糧として、黎明樹は成長を続けるのだ。 待ち続ける、愛する者の名も、 我が子の名も、 自らの名も、 そして、戦争の記憶も その「朝」が来るたび、記憶の断片は失われ、 人々は忘却の中で生きることとなった。 やがて人々は真実に気づく。 黎明樹が枯れれば世界は滅びる。 だが生かし続ければ、人々はいずれ何もかも忘れてしまうだろう。 王は決断できなかった。 そこに何人もの騎士たちが名乗り出る。 彼らは世界中を巡り、鐘を鳴らした。 鐘の音色は失われた記憶を取り戻す力を持っていた。 人々は彼らを畏れと敬意をこめて、 「鐘の騎士」 と呼んだ。 やがて鐘の騎士たちは黎明樹の根本へとたどり着き、樹に眠る「樹自身」の記憶を見た。 彼らは知ってしまった。 黎明樹は世界を支えているのではない。 この世界こそ、黎明樹の見た夢だった。 人々の記憶は夢を接ぎ、終わらせぬための薪だった。 忘却は逃れられない摂理だったのだ。 鐘の騎士たちは、剣を抜いた。 樹を斬れば世界は終わる。 斬らなければ、すべてが忘れられる。 戦いは終わり、最後の一撃とともに一人の鐘の騎士が、自らの鐘と身体を砕いた。 魂を代償として、夢を永遠に接いだのだ。 響いた音は世界中に広がり、人々は記憶を取り戻した。 しかし代償として、生贄となった一人の鐘の騎士、「アムヌス」の存在だけが忘却された。 誰も彼の顔を思い出せない。 彼の名も思い出せない。 世界が続いた理由も語られない。 声は響かない。 ただ虚しく、悲しく、音はかき消されてゆく。 今も黎明樹は枯れたまま、大地に立ち続ける。 そして各地には、鐘の騎士たちの鐘が、そしてアムヌスの鐘が残されている。 旅人たちはアムヌスの鐘を見るたび、奇妙な感覚に襲われる。 懐かしいような。 悲しいような。 その名も知らぬ誰かを、人々はただ 「鐘の王」 と呼ぶ。
故郷より追放された鐘の騎士、 黄金に目の眩んだ鐘の騎士、 黎明樹に魅了された鐘の騎士、 だが、最後までアムヌスと戦い続けた鐘の騎士。 彼らはまだ、世界のどこかで生き続けている。 だが、心に傷を負い、知らないはずのかつての戦友を思い出す。 名も知らない。顔も知らない。 だが、 彼らは、アムヌスと共に戦い、時にはぶつかり、「親友」と呼び合った記憶を、忘れないだろう。