こんにちは。ボカ郎です。これから、10話にかけての短編小説を作りました。これはニ話です。もし、気に入りましたら、星やハート、そしてフォローをしてくれると嬉しいです。また、今後、好評でしたら、続編、またはアニメ化、もしくは新小説を作るかも知れません。もしよかったらこんな初心者ですが、応援していただけるとありがたいです。
ルカの時計店の一夜から、数日が経っていた。 店の奥にある小さな作業場では、ルナが不思議そうに首を傾げながら、ルカの手元を覗き込んでいた。ルカは拡大鏡を目に挟み、ピンセットを使って「月の時計」の精緻な歯車を慎重に噛み合わせている。 「ねえ、ルカ。本当にその機械で、次の『月を愛する者』が見つかるの?」 「まあ、おじいちゃんの残したメモが正しければ、な」 ルカは最後のリューズを慎重に押し込んだ。 カチ、カチ、カチ……。 ルナが店に現れたあの日から、時計は微かに息を吹き返したように時を刻み始めていた。しかし、その金色の針はまだ「新月」の場所を指したまま動かない。 「この時計は、ただ時間を刻むものじゃない。月の魔力、つまり人々の『月を想う心』の残滓に反応する羅針盤みたいなものらしいんだ。……ほら、おいで」 ルカがそう言って机の上の古文書を広げると、時計のガラス面から、ぼんやりとした淡い銀色の光が立ち上った。 その光は生き物のように揺らめき、古文書のページの上にぽつりと落ちる。光が染み込んだのは、かつてこの国に存在したという高大な『星詠みの森』の地図だった。 「……光が指しているのは、この森の奥だ。ここに、最初の仲間候補がいる」 「森……。人工の光が届かない、本当の暗闇がある場所ですね」 ルナの銀色の瞳が、期待に小さく輝く。 しかし、ルカの表情は少し硬かった。 「ああ。でも今は『迷い人の森』なんて呼ばれてる。街の明かりに慣れた人間は、あそこに入ると二度と戻ってこられないっていう噂だ。……行く覚悟はいいかい、お嬢さん?」 「もちろんです! 月の眷属が、夜の森を怖がるわけありません」 ルナは胸を張ってみせたが、その頭の小さな角が、緊張からかピコピコと揺れていた。ルカは思わず小さく吹き出し、彼女の頭を軽く小突いた。 「よし、じゃあ出発だ。街の監視の目が薄い、夜明け前に行くぞ」 ――数時間後。 二人は、ルミナリアのきらびやかな境界線を越え、鬱蒼と茂る『星詠みの森』の入り口に立っていた。 一歩足を踏み入れると、背後にある大都市の騒音が嘘のように消え去った。 聞こえるのは、風が葉を揺らすサワサワという音と、足元の腐葉土を踏みしめるカサカサという自分の足音だけ。ネオンの届かない森の中は、完全な漆黒――ではなく、奇妙なことに、どこか青みがかった静謐な闇に包まれていた。 「……すごい」 ルカは思わず感嘆の息を漏らした。生まれて初めて体験する、本物の「夜の闇」だった。それは恐怖ではなく、まるで冷たい毛布に優しく包まれているかのような、不思議な心地よさがあった。 「ふふ、人間は闇を怖がりますけど、本当の夜はこんなに優しいんですよ」 ルナは嬉しそうに足取りを軽くする。彼女の身体からは、森の闇に反応するように、淡い銀色の光が蛍のようにこぼれ落ちていた。 その時だった。 森の奥、静寂の帳を切り裂くように、張り詰めた、しかし圧倒的に美しい「音」が響き渡った。 ――ツィィィン……。 それは、弦楽器の音色のようだった。 だが、ただの楽器ではない。まるで凍りついた空気が震えているような、聴く者の芯まで染み通るような、冷たくて、どこか泣き出しそうなほど綺麗な旋律。 ルカの懐で、カチカチと音を立てていた「月の時計」が、突然激しく震え出した。 「ルカ、時計が!」 「ああ……間違いない。この音の主が、僕たちの探している『最初の招待客』だ」 二人は音に導かれるように、静まり返った森の奥へと、引き込まれるように歩みを進めていった。音は、森の中心にある小さな開けた場所――かつて「月見の広場」と呼ばれていたであろう円形の石舞台から聞こえていた。 周囲の巨木に遮られ、街の人工光は一切届かない。その暗がりの中心に、男が一人、古びた石のベンチに腰掛けていた。 ハープに似た、しかし見たこともないほど精緻な銀色の弦楽器を抱え、長い指先で静かに弦を弾いている。 驚くべきは、その姿だった。 男の耳は人間よりも長く尖っており、街の人間とは明らかに違う、深い森の気配を纏っている。そして何より、彼の両目は薄い布で固く覆われていた。 「エルフ……」 ルカが息を呑んで呟いた、その瞬間。 ピツリ、と音楽が止まった。 男は顔を上げ、見えないはずの目をまっすぐにルカたちの方向へと向けた。 「……誰だ。私の静寂を乱すのは」 その声は低く、冷ややかで、刃物のような鋭さがあった。 ルカは一歩前に出ると、努めて穏やかな声で話しかけた。 「驚かせてすまない。僕はルカ。こっちはルナだ。君の奏でる、その美しい音楽に導かれてここに来た」 「音楽、だと?」 男は自嘲気味に鼻で笑った。 「私の名はシルフ。だが、これは音楽などではない。ただの未練だ。とうに光を失った、あの忌々しい灰色の石塊に捧げる、葬送曲さ」 「葬送曲……」 ルナが悲しげに一歩踏み出す。 「シルフさん、あなたは月を覚えているのですね。かつて、あの光の下で歌っていたのでしょう?」 シルフはピクリと眉を動かした。布に覆われた目の奥で、彼が鋭くルナを観察しているのが分かった。 「……お前、その気配。まさか、地上に生き残りがいたとはな。だが、月の眷属よ、無駄なことだ。私の目はもう何も映さない。そしてあの空の月も、二度と輝くことはない」 「そんなことありません!」 ルナは必死に訴えかけた。 「私たちはもう一度、月を蘇らせるために『宴』を開くんです。あなたのその美しい音色が、どうしても必要なんです!」 「断る」 シルフは冷酷に言い放ち、楽器を抱え直して立ち上がった。 「私はもう、見えもしない光のために指を動かすつもりはない。街へ帰るがいい、人間の小僧と、哀れな妖精のなり損ない」 冷たく突き放され、ルナはガタガタと肩を震わせた。悔しさと悲しさで、彼女の銀色の髪からこぼれる光が、いまにも消えそうに弱まっていく。 それを見たルカは、黙っていられなかった。 ルカは懐から、あの「月の時計」を取り出すと、カチカチと音を立てるそれをシルフの目の前へと突き出した。 「見えなくても、聞こえるだろ、シルフ!」 シルフの足が止まった。 「この時計は、人の『月を想う心』で動くんだ。君がさっき奏でていた曲……あれは本当に葬送曲なのか? 僕には、寂しくて、恋しくて、もう一度あの光に逢いたくてたまらない、そんな必死な祈りの歌に聞こえた!」 ルカの言葉に、シルフの背中が強張る。 「君の心は、まだ月を忘れていない。忘れたフリをして、ここに閉じこもっているだけだ。だったら、僕たちと一緒に賭けてみないか? もう一度、あの空に本物の銀色の光を引っ張り出すために!」 静寂が、森を支配した。 風の音さえも止まったかのような張り詰めた空気の中、シルフはしばらくじっと佇んでいた。 やがて、彼はふっと深く溜息をついた。 「……やれやれ。人間のくせに、随分と耳のいい若造だ」 シルフは振り返ると、皮肉げな、しかしどこか諦めたような笑みを浮かべた。 「いいだろう。そこまで言うなら、お前たちの言う『宴』とやら、その前座くらいは務めてやってもいい。ただし――」 彼は銀色の弦楽器を軽く爪弾き、ルカを指差した。 「宴にふさわしい、最高の『酒』が用意できればの話だ。月見の席に、泥水のような街の合成酒は似合わない。かつて神々も愛したという、幻の銘酒……それを用意してみせろ」 「月の雫、ですね!」 ルナが顔を上げて叫んだ。 シルフはふんと鼻を鳴らすと、そのまま森の闇へと溶けるように姿を消した。「期待せずに待っている」という、風のような声を残して。 「やったね、ルカ!」 ルナが嬉しそうにルカの手を握りしめる。 ルカはドッと一気に溢れ出た冷や汗を拭いながら、苦笑いを浮かべた。 「ああ、一人目の招待状は受け取ってもらえたみたいだ。……だけど、次の目的地が決まったな」 ルカが視線を落とすと、手の中の「月の時計」の針が、今度は「新月」からほんのわずかに動き、右側の鋭い三日月の形を指して止まっていた。そして古文書のページの上では、光の粒子が新たな場所――遥か西の古い葡萄畑の跡地を指し示していた。 「次は、最高に偏屈なドワーフのオヤジに会いに行かなきゃならないらしい」 二人は顔を見合わせ、小さく頷き合うと、まだ見ぬ次なる仲間と奇跡の美酒を求め、夜の森を歩き始めるのだった。