こんにちは。ボカ郎です。これから、10話にかけての短編小説を作りました。これは三話です。もし、気に入りましたら、星やハート、そしてフォローをしてくれると嬉しいです。また、今後、好評でしたら、続編、またはアニメ化、もしくは新小説を作るかも知れません。もしよかったらこんな初心者ですが、応援していただけるとありがたいです。
西へと向かう蒸気列車に揺られ数時間、ルカとルナがたどり着いたのは、かつて「豊穣の谷」と呼ばれた、切り立った岩山に囲まれた荒野だった。 ここもやはり、ルミナリアの支配下にある。 遠くの炭鉱からは赤黒い炎と黒煙が立ち上り、谷の底には人工の蛍光塗料でカモフラージュされた緑色の「模造農園」が広がっていた。化学肥料の鼻を突く匂いが風に混じる。 「……ひどい匂い。昔はここ、甘い葡萄の香りでいっぱいだったのに」 ルナは鼻をつまみ、顔をしかめた。ルカは「月の時計」を取り出す。古文書の光は、模造農園から外れた、ごつごつとした岩だらけの斜面へと二人を導いていた。 そこには、干からびた木々が墓標のように立ち並ぶ、見捨てられた葡萄畑があった。 その中央に、地面に半分埋もれるようにして建てられた石造りの古い醸造所(ワイナリー)が、ひっそりと佇んでいる。 「ここだ。……たのもう」 ルカが重い鉄の扉をノックすると、中からガサゴソと不機嫌そうな物音が響き、やがて扉がほんの少しだけ開いた。隙間から覗いたのは、地面に届きそうなほど長く立派な、しかし手入れもされずボサボサになった白ひげ。そして、燃える石炭のように鋭い眼光だった。 「なんだ、小僧。うちはとっくに廃業だ。人工ブドウの絞り汁なら、下にある公爵の工場へ行きな」 地響きのような低い声。彼こそが、かつて名酒『月の雫』を造っていたドワーフの醸造家、バザルだった。 「待ってください、バザルさん!」 ルナが身を乗り出す。 「私たちは、街の合成酒を買いに来たんじゃありません。もう一度、本物の『月の雫』を仕込んでほしくて、ここまで来たんです」 バザルはルナの頭の角と、その銀色の髪を一瞥した。一瞬、その頑固そうな目元が揺れたように見えたが、彼はすぐにふんと鼻を鳴らした。 「月の眷属か。……生きていたのは驚きだが、帰るがいい。あの酒は、もう二度と造れん」 「どうしてですか? あなたほどの職人がいれば……」 ルカが食い下がると、バザルは扉を乱暴に開け放ち、二人を中へと怒鳴りつけた。 「職人の腕がどうこうという問題じゃねえ! 中に入って、自分の目で見てみやがれ!」 内部は、ひんやりとした広い地下貯蔵庫になっていた。並んでいるのは、どれも年季の入った巨大な木樽だ。しかし、どの樽の蓋も開け放たれ、中は空っぽだった。バザルは、中央にあるひときわ大きな石造りの圧搾機を指差した。 「『月の雫』ってのはな、ただの葡萄のジュースじゃねえ。完熟した葡萄の果汁に、空から降り注ぐ最高の『満月の光』をじっくりと染み込ませて発酵させる、奇跡の酒だ」 バザルは、天井にある丸い天窓を見上げた。そこからは、あの濁った紫色の夜空と、死んだ灰色の岩塊が、まるで冷たい骸骨のように覗いている。 「見ろ、あの死に損ないの月を。ネオンの毒にまみれた今の夜空じゃ、葡萄は発酵する前に腐っちまう。最高の月光がなきゃ、あの極上の甘みも、琥珀色の輝きも生まれねえんだ。月が死んだ日、俺の酒造りも死んだのさ」 バザルはそう言うと、力なく古い木箱に腰掛け、悔しそうに拳を握りしめた。職人としての誇りを奪われた男の背中は、ひどく小さく見えた。 静まり返る貯蔵庫の中で、ルカはしばらくじっと考え込んでいた。 やがて、彼は懐から「月の時計」を取り出し、バザルの前に差し出した。その針は、シルフと出会ったことで「三日月」を指している。 「バザルさん。月はまだ、死んでいません。……ほら」 時計から漏れる淡い銀色の光が、バザルの白ひげを照らす。ドワーフは驚いて目を見張った。 「これは……月見の時計? なぜお前が……」 「僕たちは、もう一度あの空に月を呼び戻すために『宴』を開くんです。エルフのシルフも、君の酒があれば演奏すると約束してくれた。……バザルさん、月光がないなら、僕たちが今ここで作ります」 「何を馬鹿なことを――」 「ルナ!」 ルカが振り返ると、ルナは力強く頷いた。 「はい! 私の残り少ない魔力を、すべてこの葡萄に捧げます!」 ルカはバザルを説得し、畑に残されていた、奇跡的に枯れていなかった最後の「月見葡萄」の房を集めてこさせた。紫黒色の小さな実が、籠の中で静かに眠っている。バザルは半信半疑のまま、その葡萄を石の圧搾機へと投入した。 「……後悔しても知らんぞ、小僧ども」 バザルが重いレバーを回すと、パキパキと皮が弾け、濃厚な果汁がじわりと溢れ出した。 その瞬間、ルナが圧搾機の前に立ち、両手をそっと突き出した。彼女の銀色の瞳が、夜空のように深く輝き始める。 「――静かなる夜の記憶よ、眠れる果実に宿りなさい」 ルナの身体から、これまでにないほど強烈な、美しい銀色の光が溢れ出した。それはまるで、かつて地上を照らしていた本物の月光そのものだった。光の粒子が、溢れ出る果汁の中へと吸い込まれていく。 「な、なんだと……!?」 バザルが驚愕の声を上げる。 果汁が、ルナの光を受けて、みるみるうちに神秘的な琥珀色――いや、深い青みを帯びた銀色へと変化していく。貯蔵庫の中に、むせるような、しかし言葉にできないほど芳醇で甘い香りが立ち込めた。街の合成酒には逆立ちしても真似できない、本物の「自然」の香りだ。 しかし、ルナの顔から急速に血の気が引いていく。 「くっ……あ、あと、少し……!」 彼女の足がガクガクと震え、頭の角の光が明滅し始めた。魔力を使い果たし、消滅しかけているのだ。 「ルナ、無理をするな!」 ルカが駆け寄り、後ろから彼女の身体を支えた。その時、ルカのポケットの中で「月の時計」が熱を帯びた。 (頼む……動いてくれ!) ルカが心の中で強く願った瞬間、時計から一条の強い光が走り、ルナの背中を包み込んだ。ルカの「月を想う心」が、時計を介してルナの魔力を増幅させたのだ。 「――っはあああ!」 最後の大閃光が貯蔵庫を包み込み、そして、静寂が戻った。 ルナはそのままルカの腕の中に倒れ込み、規則正しい寝息を立て始めた。気を失っただけだと分かり、ルカはホッと胸を撫で下ろす。 「おい、小僧……見ろ、これを見やがれ……」 バザルの震える声に、ルカが顔を上げると。 圧搾機から伸びた管の先、ガラスの瓶の中に、息を呑むほど美しい、きらきらと輝く銀色の液体が満ちていた。それは、まるで星屑を溶かし込んだかのような、伝説の銘酒『月の雫』だった。 バザルは、指先に一滴だけその酒をつけ、舐めた。 その瞬間、頑固なドワーフの目から、大粒の涙がボロボロと溢れ落ちた。 「……美味ぇ。美味ぇよ……! これだ、これこそが俺の求めていた、月の味だ……!」 バザルは袖で涙を拭うと、ルカと、眠るルナを真っ直ぐに見据えた。その目には、職人の熱い魂が完全に蘇っていた。 「おい、時計職人の小僧。この酒は、俺が責任を持って最高の樽で熟成させておく。だから……」 彼は、天窓の向こうの灰色の月を睨みつけた。 「あのスカポンタンな石ころを、絶対に満月にして見せろ。この最高の酒を、最高の夜に、みんなで乾杯するためにな!」 「……ああ、約束するよ」 ルカは微笑み、しっかりと頷いた。 バザルが力強く仲間(招待客二人目)に加わったその時、ルカの手の中の「月の時計」が、再びチクタクと音を立てた。 金色の針は「三日月」を通り過ぎ、今度は綺麗な「半月(上弦の月)」の形を指して止まる。 古文書のページの上で、光の粒子が次に示した目的地は、人工の光が最も激しく渦巻く大都市ルミナリアの中心部――欲望と娯楽の殿堂『大劇院』だった。