こんにちは。ボカ郎です。これから、10話にかけての短編小説を作りました。これは五話です。もし、気に入りましたら、星やハート、そしてフォローをしてくれると嬉しいです。また、今後、好評でしたら、続編、またはアニメ化、もしくは新小説を作るかも知れません。もしよかったらこんな初心者ですが、応援していただけるとありがたいです。
ネオンの怪物がのたうち回るルミナリアの境界線を越え、一行はひたすら西へと走り続けた。 背後からは、なおも街の警報ブザーと、空を巡る監視ドローンの不快な駆動音が響いている。しかし、急峻な斜面を登り、鬱蒼とした枯れ木のトンネルを抜けたその瞬間――世界から、あらゆる人工の音がせき止められた。 そこは、すり鉢状に開けた高台だった。 『月見の丘』。 かつて、この世界にまだ本当の夜があった頃、何千、何万という人々が敷物を広げ、酒を酌み交わして銀の光を見上げたという伝説の聖地。 しかし、今その場所に広がっていたのは、見るも無惨な荒廃の光景だった。 かつての石畳はひび割れて雑草が突き破り、中央にある大きな祭壇は、まるで打ち捨てられた墓標のように苔むして傾いている。何より、丘を囲むようにして立ち並ぶ、かつて美しい花を咲かせていたであろう「月見桜」の古木たちは、水分を失い、まるで灰の彫刻のように干からびていた。 「……ここが、月見の丘?」 ルカは膝に手を突き、荒い息を吐きながら周囲を見回した。 ネオンの届かないこの場所は暗い。しかし、それは優しい夜の闇ではなかった。ただ、世界のすべてから見捨てられたような、寂寞とした「無の闇」だった。 「ひどい……。街の排熱と毒気で、大地の脈が完全に死にかけています……」 ルカの腕の中で、ルナが弱々しく声を漏らした。彼女の額の角は、今や部屋の豆電球よりもかすかにしか光っていない。ルミナリアからの逃走で魔力を激しく消耗した上に、この土地の枯渇した空気が、彼女の体力を奪っているのは明らかだった。 「しっかりしろ、ルナ!」 ルカは彼女をそっと、傾いた石座の根元に座らせた。 「おいおい、こいつは傑作だな」 荷車を引いて遅れて合流したバザルが、ドサリと樽を下ろし、呆れたように白ひげを揺らした。 「最高の酒は用意した。だが、肝心の舞台がこれじゃあな。泥泥のゴミ溜めで宴会をやれってのかい?」 「文句を言うな、頑固親父」 シルフが冷ややかに言い放ち、愛用の銀色ハープを抱え直した。 「空気が淀んでいる。風が死んでいるんだ。これでは私の音が響かない。それどころか、ただでさえ消えかかっている月の小娘の命が、この土地の寒気に吸い取られてしまうぞ」 重苦しい沈黙が丘を支配する。 遠くを見れば、ルミナリアの毒々しい紫色の光光が、まるで今にもこの丘を飲み込もうとするかのように、不気味に蠢いている。街の支配者である灯火公爵の追手がここを見つけるのも、時間の問題だろう。猶予は、今夜の残された時間だけだ。 「……諦めるのは早いよ」 その場に声を響かせたのは、ステラだった。 彼女は旅物のブーツのつま先で、カチ、カチ、とひび割れた石畳を軽く叩いた。その瞳には、大劇院の檻にいた頃の虚ろさは微塵もない。むしろ、夜風を受けて、群青色のドレスが誇らしげに揺れている。 「舞台が汚れているなら、掃除すればいい。風が死んでいるなら、私たちが動かしてあげればいいじゃない。……ねえ、時計職人のルカ?」 ステラがいたずらっぽく微笑み、ルカを見た。 ルカは一瞬、呆気に取られたが、すぐに胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。 「……そうだね」 ルカは微笑み、ポケットから「月の時計」を取り出した。 手のひらに収まるそれは、シルフ、バザル、ステラという『月を愛する者たち』が揃ったことで、じっと熱を帯びている。金色の針は、満月の一歩手前――「十三夜月」の場所で、今か今かと解放されるのを待つように微細に震えていた。 「みんな、力を貸してくれ。おじいちゃんの古文書には、こう書いてあったんだ。 『宴とは、ただ座って待つものではない。集う者たちが心を合わせ、場を歓喜で満たすことそのものが、月を招く儀式となる』 ……僕たちの手で、この場所を世界一の劇場にしよう」 ルカの言葉に、職人たちの魂が弾かれた。 「ふん……言われなくても、ドワーフを労働で舐めるんじゃねえぞ、小僧!」 バザルがカッと目を見開き、巨大な木槌を型に担いだ。 「おい、踊り子! 舞台の瓦礫をどかすぞ! 俺の怪力に惚れるんじゃねえぞ!」 「ふふ、期待してるわ、おじ様!」 ステラが軽やかに宙を舞う。彼女がステップを踏み、ひび割れた石畳の上を滑るように踊ると、驚くべきことに、彼女の足元からキラキラとした星屑のような光の粒子が溢れ出した。その光に導かれるように、バザルが木槌を一振りする。地響きと共に、何百年も放置されていた巨大な岩や瓦礫が、みるみるうちに粉砕され、綺麗に片付けられていった。 「……やれやれ。騒がしい連中だ」 シルフがため息をつきながらも、古びた石のベンチに腰掛けた。 長い指先が、銀色の弦に触れる。 ――ツゥ、ン……。 静謐な一音が、丘の空気を震わせた。 シルフが奏でる旋律は、優しく、そして力強かった。それは死んだ大地を慰め、呼び起こすための子守唄のようでもあった。彼の音楽に合わせて、丘に心地よい「風」が生まれ始める。風は淀んだ空気の塵を吹き飛ばし、ルミナリアの不快な排熱を押し返していった。 ルカもまた、休んではいなかった。 彼は傾いた中央の祭壇の前に膝をつくと、鞄から職人の道具を取り出した。祭壇の核には、かつて月の魔力を増幅させていたであろう、古い真鍮製の歯車機構が埋め込まれていたのだ。 「これだ……。これが、宴の『拡声器』の役割を果たすんだ」 ネオンの光ではなく、ランプの小さな灯りを頼りに、ルカは指先を動かした。何百年も錆びついて固まっていた巨大な歯車。ルカは一本ずつピンセットでサビを落とし、特製のオイルを注ぎ、噛み合わせを調整していく。 カチ……カチ、カチ……。 ルカの手元から、小さな、しかし確かな歯車の駆動音が響き始める。それはシルフの音楽、バザルの作業音、ステラのステップの音と、不思議なほど完璧に調和していった。 その時だった。 「……あ……」 石座の根元で身を縮めていたルナが、小さく声を上げた。 シルフの風が彼女の銀髪を優しく揺らし、ステラの星屑の光が彼女の足元を温め、バザルが樽の隙間から漂わせた『月の雫』の芳醇な甘い香りが、彼女の鼻腔をくすぐったのだ。 死んでいたはずの『月見の丘』に、確かな「生」の気配が満ちていく。 すると、奇跡が起きた。 丘の周囲を囲む、あの干からびていた「月見桜」の古木たちの枝が、パキパキと音を立てて身震いした。そして、ネオンの人工光では絶対に咲かない、透き通るような白い、夜にだけ咲く花が、ぽつり、ぽつりと、一斉に蕾を開き始めたのだ。 「綺麗……」 ルナが瞳を輝かせ、ゆっくりと立ち上がった。 彼女の額の角が、周囲の生命力に呼応するように、再び美しい銀色の輝きを取り戻していく。頬には健康的な赤みが差し、消えかけていた儚い存在感が、確かにこの地上に繋ぎ止められた。 「やったな、ルカ!」 バザルが汗を拭いながら、豪快に笑った。 「見ろよ、この桜の木々を! 酒の肴には最高じゃねえか!」 「ええ、最高の舞台(ステージ)だわ」 ステラが満開の桜の枝の下で、美しくポーズを決める。 シルフは何も言わなかったが、その口元には、かすかに満足そうな笑みが浮かんでいた。弦を弾く音色は、先ほどよりもどこか温かみを帯びている。 ルカは立ち上がり、作業を終えた祭壇を振り返った。 中央の歯車機構は、今や美しい音を立てて回転している。そして、ルカの手の中にある「月の時計」の針は、ついに【満月】の真隣――開幕のその瞬間を待つばかりの、極限の状態にまで達していた。 一同は、中央の祭壇を囲むようにして集まった。 バザルが、美しい銀色の液体が満ちた『月の雫』のグラスを全員に配る。 「まだ、空の月は灰色のままだ。……街の追手も、もうすぐそこまで来ているだろう」 ルカはグラスを掲げ、仲間たちの顔を一人ずつ見つめた。 エルフの楽師、ドワーフの醸造家、星の踊り子、そして月の眷属。本来なら交わるはずのなかった、光の街の異端児たち。 「でも、僕たちにはこの場所がある。この最高の仲間がいる。……みんな、まずは僕たちの『約束』に。そして、これから始まる最高の夜に」 「乾杯」 5人のグラスが合わさり、チィン、と清らかな音が丘に響き渡った。 『月の雫』を口に含んだ瞬間、五臓六腑に染み渡るような圧倒的な甘みと、優しい月の記憶が彼らの身体を駆け巡る。ルナは嬉しそうに目を細め、ルカの袖をぎゅっと握りしめた。 嵐の前の、静かで、しかしこれ以上なく贅沢な、5人だけの前夜祭。 満開の夜桜の香りに包まれながら、彼らは迫り来る決戦の気配を感じつつも、確かにそこに存在する「本物の夜の始まり」を噛み締めていた。