ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー https://scratch.mit.edu/projects/1323674168/ の続編、つまり引き続き水野桃華ちゃんの過去編ということになります。慣れない文体、詳しくない分野での記述ですのでいつも以上に駄文です、誰か助けてくださいって感じ...ですので変なところがあってもどうかご容赦ください。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ツグモの集落の離れ、柑橘の残り香漂うフクレミカンの林を抜けて、五助は筑波の夜叉山――その禁足地へと足を踏み込んでいた。標高が上がるにつれて常緑の広葉樹は姿を消し、樹齢数百年の椈の巨木が湿り気を帯びた枝を広げる霧の林へと景色が一変したことが見て取れる。晩夏の椈林は来たる木枯らしに備えその葉の厚みを一層増して居るようで、夜叉山の地表は星明かりさえ木々に阻まれる真暗の地と化していた。 足を一歩進める度、長雨で濡れそぼった腐葉土が彼の草履に絡みつく。この一帯には然程急峻な地形は無いと知られていたが、然し尚弟を背負って歩くには過酷な環境である事に変わりは無かった。薄墨を流したように立ち込めた霧に揺らぐ月光が、まったく神域の峻厳さというものを教授しているのである。 冷えた風が二人を貫いて吹き抜けていく一方で、背中の弟は焼けるような熱を放ちながら息を吐く。その掠れた音が五助の耳元で途切れかける度、心臓が握り潰されるが如き焦燥が身を走る。彼の命はあとどれだけ持つことだろうか。もし、見回りの連中がすぐ側に潜んでいたとしたら。 けれどもその割には、此の山はあまりに静かすぎるのである。役人、あるいは僧兵らが山を巡る足音どころか、獣の声や虫の音さえ聞こえないのは不自然であり――この山は凡ゆる生命が死に絶えたかのような静寂に包まれていた。ただ時折、風に揺れる椈の枝擦れが、何処か遠くで数珠を鳴らす音のように聞こえるのが却って不気味に感じられる。 突如、霧の奥にぼうっとした桃色の灯りが漏れる。しかしあの光はどういうわけか、太陽の乳白色にも、夜月の冴えた銀白色にも、そして提灯の橙色にも全く似つかないような、青みを帯びた桃色の可憐な表情を見せているのだ。その上荒々しい炎の気とも異なり――もっと静謐で、澄んだ湧水地の水底を覗き込んだかのような透き通った光が、こちらを覗き返しているように感じる。 かつて修羅場を駆け抜けた勘が、静かに警告を発している。此の山の"氣"は尋常ではない、と。五助はゆっくりと、揺らめく光に吸い寄せられるように歩いていく。そうして椈の原生林を抜けた先に、断崖を背負うようにして、朽ちかけた古い石造りの寺院が浮かび上がった。ざらざらとした飛び石の表面は所々土に覆われており、長い間人の手が入っていないことがわかる。彼はようやく少し落ち着いたように、小さく息を漏らす。 「...これが神域、というわけか。しかしこの寺院は一体どれ程昔からここに――。」 「...大体、三百年前。六十年くらい前に大規模な修繕工事があったんだけどね。」 五助の背後から、遠い過去を懐かしむような穏やかな声が聞こえた。振り向くと其所には、彼よりもずっと小柄な着物を纏った少女が長い桃色の髪を垂らしていた。気づけば風など疾に止んでいるというのに、彼女の髪や着物の袂はゆったりと柔らかに揺らめいている。 加えて、その額には淡い光を放つ透き通った石英のような物体が鎮座していた。同時に、彼女の異質さを証明するかのように辺りの草花がぼんやりとした輝きを発してゆく。五助は、もう戻れない領域まで来てしまったのだと理解し、焦りが止まらなくなる。間違いない、彼女が――。 しかし彼女は調子を崩さずに続ける。控えめな笑みの底は、見透せぬ。 「──ああ、そんなに警戒しないでもいいさ。様子を見れば事情くらいはわかる。君はそこの坊やを助けてやりたいのだろう。」 彼女は更に、苦しむ民に進んで苦しみを与えてやろうなどと考える程私は堕ちちゃいないさ、と自嘲的な口ぶりで語る。その姿は、悠久の時を生きた神仏のようにも、あるいは穢れを知らぬ新生児の安らかなる表情のようにも見えた。 「いやしかし、これでは確かに疑念の目を向けられるのも当然のことかな。何せ名乗りが済んでいなかったのだから――私の名は、水野桃華。君たち生きとし生ける全てのものの母であると同時に娘である存在であり、あるいは世界の四季を謡う四柱の聖霊の類、その一角さ。...と言っても、なかなか伝わらないだろうけど。」 やけに、水野という部分を強調するかのような言い方。確かにその姓は何処かで聞き覚えがあるのである。それが何かの経典の一節か、はたまた少年の日に聞いた土着の言い伝えであるかなどは最早思い出す術など無いのだが。 「いやはや確かに──貴女が常人でないことは納得が行った。強欲な役人どもといえども、これ程大掛かりな絡繰は用意できまい...して、我もただ一つ合点がいかぬのだ。」 五助は恐る恐る、続ける。手許の鈍であの少女の首を断つなど、とんでもない。彼は誠に無学の徒であるが、されども神仏の不興を買うことの恐ろしさたるは理解しているつもりであった。希くば、希くばと思索が頭を走り回る、静寂の宵闇の中。 「おんしが世の理を超えた高貴なる身分のものであるとして、なればなぜ尚更このような不徳の民を救おうとしてくださるのか。それが分からねば、どうにも信用は出来ぬ。」 しかし彼女も、地に満つ桃色あるいは百色の燈も穏やかな調子を崩さずに応える。その様子は、あたかも慍りの様な感情が元から存在していないかのように見ゆる。 「うーん、別にそこまで怖がる必要なんて無いんだけど...少し前、言ったでしょう。私は人の願いから生じた君たちの娘でもあるのだよ、と。」 少しだけ、彼女の表情が真剣なものになる。 「——だからこそ人を苦しみから解き放つことは、その対象の属性に関わらず私の使命として先立つ...すこし、昔話でもしてやった方がわかりやすいか。...大丈夫、君が寝...いる間...弟く...の治療は終...ら......お...よ。」 その言葉の終わりまでは、明確に聞き取ることは叶わなかった。不安や焦燥といったこころを理性ごと溶かし、意識を現世から切り離すような──もしくはそれと同時に、以上のような超自然的現象への恐怖すらも麻痺させる類の術。その手の何か、人の理解を超えたものが作用したのだろう...というところまでは理解出来たのであるが、しかしやはりこの考察は五助の知りうる全てのこと、すなわち得られる情報の上限でもあったろう。 瞬間、視界が暗転したかと思えば早回しの四季の風景が瞳に張り付いたように映し出され、どうやら眼を閉じても離れなくなる。暫くして、彼の頭蓋に微かな声が響く。 声の語るには、斯く。 「 私は此の世に、一つの命で在りながら二度の生を受けた。一度目は大凡三百年程昔の事であり、二度目はそれに比べれば、つい最近の事さ。 君も、きっと知っている事であろう。三百年前、人々の心は絶望の中にあった。生老病死の苦しみに加え、愛別離苦や怨憎会苦、求不得苦と五蘊盛苦──人の生きる道は苦しみばかりではなく、喜びにも満ちたものであろう。しかしそれでも、やはり命を持つものはこれらの苦しみからは逃れられないことに変わりはない。ほら、君も見えている事だろう。目の前に映っているのが、平安の世の終焉...保元の乱や平治の乱に始まる、同時多発的に発生した内乱の数々だよ。...まったく、悍ましい戦禍だとは思わないかい。 そしてそれらの苦しみは永遠の輪廻の中で姿を変えながら、愛おしき総ての命たちに付き纏っていく。天人の五衰、という言葉を聞いたことがあるだろうか──知らなくても構わないが、ともかく天人すら命の有限性には逆らえないのが現実ということだ。 ならば、其の輪廻から抜け出そうと考えるのは自然な事だが...ご存知の通り、世は末法の時代。今や悟りに至る事も、此の輪廻から抜け出す事も、すべての苦役からの永劫の安寧を得る事も叶わない時代がやってきたのであると、そう信じられてきた。 されどもそれでは納得が行かないのも人の性。治安の乱れは激しく、世の不安は膨れるばかり。また僧兵や強訴の台頭により教義の退廃が噂され、末法の予言は現実味を帯びてゆく。故に世の人は様々な手を借り、どうにか此の乱世の中の救いを求めようとしてきたのである。 末法濁世の衆生は阿弥陀仏の本願力によってのみ救済されるとし、念仏による救済を唱えた浄土宗は記憶に新しいであろうし──同時に、数多くの小さな信仰が生まれては潰えてを繰り返してきた、暗中模索の時期であった。私も言わば、そうして瞬くように消えた信仰の産物にあたる。 都から遠く離れた此の筑波の地、当時此処はまさしく果ての地であり高名な僧が教えを説きにやって来る事などは殆ど皆無であった...どうやら、この山の何処かに薬師様を祀った像が在ると聞くが其の噂の真偽は私にも分からないくらいだ。故に板東の民衆は、自分たちの手で何か少しでも出来ないかと考え此処に空の祠を建てた。...彼らは宗教には明るく無く、どのような存在を祀ればいいか検討もつかなかったのだそうな。 『──本当に?』 さてそこには、無名の祠と行き場を無くした祈りだけが残った。其の祈りとは、救い無き此の世に終わらない苦しみから逃れる術を希求する祈りだ。そしてそのほとんどは自分が助かりたいという自分本位の願いではなく、他の誰か、特にこれから先の世代...つまり自分たちの子孫に向けた純粋たる善の祈りであった。ああそうだ、これから先時代は悪くなるばかりだと信じられていたのだからね。 『──否。この証言は自分の知る歴史とは"矛盾"している。此の地に高名な僧が居なかったなど...そのようなことが如何してあり得ようか。ではお前は、誰だ。』 けれど彼らの願いは誰に届くでもなく──結果として、願いというものは物質としての実体を持たぬものの...どういう因果かあの祠へと引きつけられ、集約されていった。 その他者を真に想う心、未来に希望を託す祈りは三百年という時の中で祠を核として人の姿をした物質としての形質を得た──それが、私という存在。故に私は人々の善なる心から生じたという意味で君たちの娘であり、同時に君たちを涅槃に導く存在であるという意味で君たちの母というわけさ。 『...しかし、どういうわけか思考が回らない。これはまるで、脳裏に映し出されている映像に精神空間の剰余を奪われているかのような──。』 ...あぁ、それで私はどうやら存在の格としては一角獣の瑞獣、つまり仙獣というものに該当するようだが...私は彼の四柱に比べれば随分新参者である。故に寧ろ分類としては大妖怪の類とした方が適切であると考えており...個人的には、彼の悪鬼たちと同格に並べられるのは少々不本意でもあるけどね。 『──ならば、抗え。疑え。今ぞ我が、思考の主導権を奪い幻覚を見せる術の最中に在るならば。』 その為私の使命は人々を苦しみから解き放つ事そのものであり、この使命は同時に私という存在をかたちづくっているということ。 『脳内に映し出される過去の映像を、己の思考で上書きせよ。今自分が立っている"現実"をその上に想像するのだ──。』 だからこそ私は君たちを──。 」
(続きです) 『彼女が見せていたであろう幻覚が、崩れていく。それと同時に、犯してきた罪の数々や我が弟の病状等悩ましい不安ごとが突如として蘇り思考を支配する。けれども、それで良い。』 目を覚ました五助が感じたのは、土の匂い。気づけば大地にうつ伏せになっていたようである。けれども、背中が軽い。其処に梓は居なかった。焦燥。後悔。己が眠っていた間に奪われていたのか。では、何処に。八月下旬の冷えた夜風が五助の背を撫でる。 立ち上がりながら辺りを見渡す。桃色の薄灯が点在しているおかげで、弟の姿を探すのは容易い事であった。彼の頭部は、例の少女の膝の上に在り──その肌艶は随分回復しているようであった。 直後、俯いていた彼女の視線が此方に向けられる。その表情は控え目乍らもとうとう驚きを隠せない様子。 「...まさか、人の子に私の術が破られるなんて。もう少しくらいは大人しく話を聞いていて欲しかったものだけど、君は随分と疑い深いんだね──ならば少年よ、問おう。君は何者だい。」 五助は、錆びた太刀に手を重ねる。気づけば雨も止んでおり、乾き切った持ち手は握るに易く気休め程度の頼もしさを感じさせる。それでもやはり、彼女が誠に善性の存在であるならば、危険な賭けに出る必要性も無いのだが...という恐怖にも似た思考が脳を走る。あれだけの修羅場を駆けてきたにも関わらずである。 「...見回りの役人や僧侶と鉢合わせなかった事含め...先ほどから色々と不審に思っていた所だから、此方こそ重ねてもう一度問わせてもらおう。お主は結局、何なのだ。そして此処は、誠に現世であるのか。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 使用している背景写真は自前で撮影したものとなります。...本当はこれ5000文字に収まるつもりだったんですけどね、ちょっとオーバーしちゃいました。書き上げるのに相当苦労した一話でしてね... ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー