【涙の輝き】 ティアーは眩しい光で目覚めた。あたりは爽やかな草の匂いがした。そばでは、クラウンが柔らかい草に包まれて、気持ちよさそうに寝ている。一定の寝息から深く眠っていることが分かった。時折耳がピクピクと動き、前脚をもぞもぞと動かしている。 ミラーはもう、寝床にいなかった。先に起きたのだろう。姉さんのことだから、しょうがない。姉は最近、神経質で、なにかがあると緊張してしまうのだ。 それもそのはず、今日は私達の兄弟が信者への訓練を開始する日なのだから。 ティアーは乱れた胸の毛を数回舐めると、寝床のある植物の影を出たー〈水の群れ〉の信者たちの寝床だ。 昨夜の雪は完全に溶けていて、春の始まった臭いがする。ティアーは舌なめずりした。獲物も動き出すだろうから、これでまたたらふく食べられる。 部屋の外には、父のコールドがいた。父の緑色の目が、誇らしそうに輝いている。ティアーを心配しているかのような輝き方でもある。 「やあ、おはよう。緊張してないかい?今日は新たな1歩を踏み出す日だからな。ミラーはもっと前に起きてたぞ。」 ティアーは背中の毛が逆立つのを感じた。全く、父だったら。私がまだ生まれたての子猫だとでも思ってるのかしら。 「何言ってるの?そんなことで私が緊張するとでも?全く、子供扱いはいい加減やめてほしいわ」 せっかくの春の始まりなのに、ティアーの嬉しい気分は台無しだ。 「ごめんごめん。お前も今日から大人の仲間入りだもんな」コールドは謝った。それでも言葉の一つ一つに優しさを隠しきれていない。本当に私を1匹じゃ何もできない猫だと思ってるみたい。 その時、背後の草が揺れる音がした。 クラウンが起きてきたのだ。尻尾をたて、嬉しそうに歩いてくる。やっぱり、弟も楽しみなんだろうな。 クラウンは右の後ろ脚に体重をかけないようにして歩いてきた。癖だ。 「ふぁあ〜、おはよう」クラウンは寝ぼけた声で言った。 「おう、おはよう。お前さんは、姉さんと違って、ぐっすり眠れたみたいだな」コールドは返した。クラウンを見る目も、ティアーの時と同じだ。 「えっ、ティアーはもうずっと前から起きてるの?おかしいなぁ。さっき部屋を出ていったと思うんだけど。」クラウンは首を傾げて聞いた。 「バカね、違うわよ。私はさっき起きたばかり。先に起きたのはミラーの方よ。」ティアーはいった。クラウンは一瞬傷ついたように目を曇らせた。先ほどまで立っていた尻尾が下がる。 「まぁ、しょうがないさ。ティアーもクラウンにとってはお姉ちゃんだからな」コールドはクラウンをかばう。ティアーは気まずくなって胸の毛を舐めた。全く、私ったら、なんで父への怒りをクラウンにぶつけてしまったの?弟は何も悪くないのに。それに、父に苛つくのも間違っている。父は私達を思って、言っているのだから。 そのとき、水たまりの近くにある部屋から、ウォーターが走ってきたーーリーダーの部屋なのだ。 「あ、ウォーターだ!何しに来たのかな?」クラウンが高い声で言った。そして、心配でもするようにこちらを振り返った。目は不安そうに、大きく見開かれている。 「ほんとだ。きっと今日からの訓練のことについてよ」 ティアーは、今度こそ弟を傷つけないように、優しく言った。 それを聞いたクラウンの耳が安心したようにピンとたった。いまので謝罪の気持ちが伝わったといいな。こんな大事な日が、弟にとって悪い日にならないほうがいいもの。 温かい日が、ティアーの背中を照らした。この日が沈んでしまえば、もう今日が来ることはない。兄弟と仲良くして、いい1日にしないと! ウォーターの軽やかな足音が大きくなり、ピタリと止んだ。 「今ここにいるのは2匹だけか?」堂々とした低い声。 ティアーはウォーターがだいすきだった。怖そうに思えるけど、実はとても優しいのだ。 「違うよ、コールドもいるよ」とクラウン。リーダーに対してだというのに、軽い口調だ。 ウォーターはクラウンの方をちらりと見たが、無視して続けた。「ミラーを呼んでこい。今日からの訓練について説明する。」 やっぱり、訓練についてだ。ティアー達は親から「訓練は試練を乗り越えるための基礎となるもの」としか聞いていなかったので具体的に何をするのが訓練なのか知らなかった。 「それじゃあ、私の部屋で待っているぞ」それだけいうと、ウォーターは遠くの方にある水たまりの方へ去って行った。 あの水たまりの近くに、ウォーターの部屋があるのだ。だから、水分は水たまりからとる。そのおかげで、ウォーターはあまり部屋から離れず、緊急などの時以外は、空き地に出てくることはなかった。 「ねえ、コールド、なんでウォーターはあそこの水たまりから水を飲めるのに、私達は遠くの川まで行かなくちゃならないの?」ティアーはふと疑問に思ったので、父に聞いてみた。リーダーだからって、ずるい。こっちはついでにマーキングまでもさせられるのに。 「知るか。リーダーが群れを群れが離れると危険になるんだよ」父に厳しい声で返されて、ティアーは少し怯んだ。どうやら、まださっきのことを怒っているみたいだ。わざとじゃないのに。 クラウンもそのことに気づいたのだろう。止めに入ってくれた。「僕、そんなに怒ってないよ。姉ちゃんだってわざとじゃなかったんだし」 ティアーは弟の優しさに思わず目を輝かせた。不思議な色の目だった。 「・・・っ、俺が怒っているのはそこじゃない。早くミラーを呼んで、ウォーターの部屋に行きなさい。群れのリーダーを待たせるな」どうやら少し勘違いをしていたようで、コールドは恥ずかしさを隠すように去って行った。それでも子供のことは大切らしく、コールドはボソッと付け足した。「あと、ちゃんと飯食えよ」 ティアーは参ってクラウンと顔を見合わせた。全く、コールドったら。甘やかし過ぎだし、少し自分の子供が傷つけられただけで怒るんだから。子供思いなところはいいんだけどな。 「ま、いっか。早くミラーを呼んでウォーターのとこ行こう」ティアーはちらりとクラウンを見た。「それとも、先にご飯?」ティアーの目がクラウンの目の中で反射して、いたずらっぽく光る。 「うん、ご飯が先!僕、お腹へっちゃった」弟はそう言って、獲物置き場に向かって走り出す。「姉ちゃん、競争しようぜ!」 ティアーも走り出し、あっという間にクラウンを抜いて獲物置き場についた。「まだまだね。信者になるには足が遅すぎじゃない?」 「そ、そんなことないよ!それに信者になるために“今日”から訓練するわけだし」 ティアーはそうね、と笑ってクラウンに小さな鳥を渡した。自分の分はネズミを取る。二人はまだ葉の柔らかい草たちの影で、並んで静かに食べた。まだ獲物は温かく、優しい味がする。 程なくして二人の腹は心地よく満たされた。ティアーはミラーにも、とネズミをもう一匹取って、クラウンに頷きかけた。クラウンは立ち上がると、伸びをしてある方向を耳で指す。そこは平地のキャンプにある唯一の木。群れのみんなから愛されている、松の木だ。 よく兄弟で遊んだ場所。ティアーは急に昔が懐かしくなってきた。幼い頃から私達3兄弟はあの木に登った。どちらが早く登れるか競争もしたし、みんなに見つからないように隠れながら登るため、協力もした。その木は、割と低めのところに枝があり、小さな体でも登りやすかったからだ。 なのに、最近はそうした遊びをしていない。すべてはあの日のせいだ。
★ 朝。心地よいそよ風が吹いている中、私達は松の木で遊んでいた。キャンプの端、湖への道の脇に立っている1本の松。キャンプの中で一番高いから、子猫たちから人気。 私達はついこの前開発したばかりの「キャンプのどこ?」というゲームで遊んでいた。このゲームは、1匹が木の上からキャンプのある場所を指名して、もう1匹がその場所へ行く。ついたら、3匹目の合図で2匹は木と、その場所をそれぞれ目指し、どちらが早くつくかを競争する。これを、役割を変えて何度も遊ぶのが最近の私達のお気に入りの遊び方だった。 「じゃあ、次は私が走るから、クラウンは合図をよろしく!」ミラーが明るく言った。 ティアーはそそくさと木に登る。木の上からはキャンプが一望できる。ティアーはこの眺めが大好きだった。 ミラーがウズウズと待ちきれなさそうにこっちを見てきた。ティアーは急いで目的地となるものを探す。ふと、目に獲物置き場が映った。(よし、あそこにしよう!) 「よし!じゃあ目的地は獲物置き場ね!」ティアーはミラーの目をまっすぐ見て言った。 「OK!!」 ミラーはすぐに駆け出した。楽しそうに、無駄にくねくねしたり、草の上を飛んで、獲物置き場につくと跳ね上がった。 「着いたよ!クラウン、合図を出して」ミラーは身をかがめて言う。ティアーも腰を落とし、合図があったらすぐに木を降りられるように準備した。 クラウンも楽しそうだ。しっぽは一直線に天を指している。大声で叫んだ。 「よぉし!じゃあ、3、2、1!スタート!!!」 体の中で何かが弾けて、ティアーは一気に木を駆け下りた。視線の先にはすごいスピードで向かってくるミラーがいる。地に足がついた瞬間、ティアーは全速力で獲物置き場へと走る。足元の石を華麗によけて、スピードが落ちそうな背の高い草の茂みを、ひらりと飛び越えた。 途中、ミラーとすれ違った。お互いの目を睨みつけて、負けないぞ、と意思をぶつけあう。 そのまま思いっきり走っていき、ついに獲物置き場までの距離がキツネ1匹分もなくなった。ティアーは獲物置き場にむかって地面を蹴り上げた。位置番手前にあったうさぎにそっと触れ、木の方を振り返って叫ぶ。 「着いた!!!」 ミラーは今木に最初の足を掛けた状態で悔しそうにこちらを振り返った。 「あ〜あ!負けちゃった。ティアー、足速いね」 姉に勝った嬉しさと達成感を味わいながら、軽い足取りで木まで戻る。途中で、ウェーブに「元気でいいわね。仲良く安全……」と言われた。あとの方は向かい風のせいであまり聞こえなかったけれど。 「ただいま!」ティアーは木に着くと2匹にぶつかりそうな勢いで突っ込んでいった。「今日、この木から獲物置き場に向かって風が吹いてたね!きっとミラーが負けたのはそれのせいだよ」 「うん、僕もそう思った。姉ちゃん達、走りの身軽さが全然違うんだもん」クラウンも笑った。 「そうね。でも負けたことに変わりはないわ」ミラーは肩をすくめて言った。「次はティアーが合図を出して。私が場所を指名する役になるわ!」 (ここまでは良かったのだ。ここらがいけなかったんだ) ミラーがするすると木を登っていった。ミラーは首を回してキャンプを見渡す。 ふと、ミラーの耳がピンと立った。 「ねえ、あれ見て!ウォーターの部屋の横!」 私もクラウンも、同時にリーダーの部屋を見た。が、なにも見当たらない。「ミラー、ほんとにあるの?何も見当たんないよ」クラウンが不思議そうに言った。でも目は部屋の横から話さない。 「え〜?さっき青いちょうちょがいたのに」ミラーはもう一度よく目を凝らしたようだ。ティアーの足元の、ミラーの影がちょっとだけ木から離れた。 「ほら!いた!あそこだよ、ほらあアァ!!!」ミラーの声が途中で悲鳴に変わった。急に突風が吹き付けて、身を乗り出していたミラーはバランスが取れなくなったのだ! 時が遅くなった気がした。キャンプの音がピタリとやんだ気がした。 ミラーの影がだんだん、だんだん大きくなっていく…。 クラウンはまだ青い蝶を探していて、落ちてくるミラーに気づかない…。 突風がクラウンの毛を逆立たせる…。 周りの草がザワザワと大きな音を立てて揺れる…。 ティアーは大きく目を見開いた。ミラーの影が、クラウンの背中に重なったのだ…! そこからは一瞬だった。どすんと鈍い音を立てて、ミラーがクラウンにぶつかった。音が一気に耳の中に流れ込んできて、頭がおかしくなった。クラウンとミラーの叫び声が耳にキンキン響く。 視界の端に、優雅に飛んでいく青い蝶が映った。 朝に吹いていたそよ風は、さっきは追い風として、私を助けてくれたが、今は恐怖と絶望をもたらす風になった。 ティアーはぶるっと震えた。この絶望的な状況から逃げ出したくなった。 ふと怪我はないかとクラウンを見ると、後ろ脚がおかしな角度に曲がっている事に気が付き、ティアーは余計に焦ってしまった。 「誰か、助けて!クラウンが...!クラウンの後ろ脚が!!」 遠くから、大急ぎでやってくるウェーブの足音が聞こえた。 「ティアー!状況を教えて」ウェーブの冷静だが、焦っている、そんな声がした。 頭が真っ白で何も考えられなかった私の口からは、咄嗟にこんな言葉が飛び出していた。 「ミラー、突然ミラーが降ってきて、クラウンを怪我させたの!」 心のどこかで、(それは違う)とわかっていたのに、こんな時に限って私の口は言うことを聞かなかった。 「全部、全部ミラーが悪いの!!」 ★ 馬鹿だった。とんでもなく、馬鹿だった。ミラーが悪いわけない。風のせいだったのだ。いきなり起きた、誰のせいでもない、事故だったのだ。 その時の母の大きく見開かれた、青くて驚きと絶望の色を隠した瞳が記憶に鮮明に残っている。 それから、クラウンは“水の王”から、“雨の日の王冠”に改名された。現場を見ていた人が「ミラーがぶつかった時のクラウンの毛がまるで強い雨の日の王冠のようだった」と言ったのだ。クラウン本人もいい名前だと満足していたので、名前は変更されることに決まった。 クラウンは、今でも怪我した脚を庇って後ろ脚を引きずって歩いている。もう痛くはないそうだが、癖になってしまったらしい。ちゃんと歩こうとすれば、歩けるので支障はない。それでも、心の傷は消えていないのだろう。前よりも遊びを心から楽しめていなさそうだった。 ミラーとの仲は一見、変わらないように見えた。ミラーはいつも通り優しくしてくれた。ティアーはあの時にミラーのせいにしてしまったことが、どうしても、どうしても気がかりだった。ミラーは気にしてないように見えたし、私もすぐに忘れてくれるかも、と思っていた。けれど、何故かミラーの目をじっと見つめられなくなった。咎められるかも、と心配だったのだ。 私はあの日から、よく考えてから行動するようにしてきた。また、焦って猫を傷つけてしまいたくない。まだ、たまにかっとなってしまうことはあるが、それでも昔よりは冷静に物を言えるようになった。 あの松の事件は私達3兄弟みんなを変えてしまう出来事となった。 あの日のことを思い出しながら、とぼとぼと歩いていた私は、いつの間にかクラウンに何歩も遅れをとっている事に気がついた。 「ごめん。“あの日”のことを思い出しててさ」口に咥えていたネズミを地面におろして、ティアーはクラウンに謝った。 「いいよ。僕もちょうど、考えていたところなんだ。姉ちゃんは、あ、ミラーはなんであんな事が起きたのに、いつもあの木に登っているんだろうって。僕はもう、近づきたくなくなっちゃったくらいなのにさ」クラウンは振り返って目を合わせてきた。 クラウンの緑の目は、表面こそ澄んでいたが、その奥深くはくもっているように見える。 「さぁ」ティアーは首を傾げた。「考え事じゃない?ミラー、神経質だし」 そう、ミラーは、よく松の木に登って考え事をしていた。きっとあの時のことを思い出して、より一層自分を追い詰めて考えているのだ。 ネズミをもう一度咥えあげて、ティアーはまた歩きだした。 私達はそれぞれ、それぞれのことを考えながら歩いて松の木の前に着いた。 ミラーは木の枝に座って落ち着かなそうに耳をピクピク動かしたり、爪を出し入れしていた。木の表面が少し削れている。 ティアーは一息ついてから言った。 「ミラー、ウォーターが呼んでるわ。訓練のことについて話すから、部屋に来なさいって。あと、これ。」ティアーはネズミを地面に置いた。「お腹空いてるかなって」 相変わらずミラーの目を見ることはできなかったが。 「……分かった。先に行ってて」ミラーの静かな声がした。きっとまだ一人になりたいのだろう。獲物を食べる時間も必要だし。今はそっとしておこう。 「OK。でも、ウォーターをあんまり待たせないようにね」 そう言ってティアーは後ろを向き、クラウンに頷きかけてウォーターの部屋へ歩いていった。 中にはウォーターが前脚を胸の下に突っ込んで、座っている。 ティアーとクラウンがきちんとしっぽを鼻にかけ、座るとウォーターは喉を鳴らして言った。 「訓練を始める準備はいいか?」