──風が、吹いていた。 「…......…」 息吹は、しばらく何も言えなかった。 目の前に広がっているのは、映像でしか見たことのなかった世界。 空。 雲。 太陽。 そして、人間がかつて暮らしていた街。 「これが……地上……」 崩れた道路。 草に覆われた建物。 遠くに見える、傾いた高層ビル。 十五年前までは、ここにも人々の生活があった。 学校があって。 会社があって。 店があって。 家があった。 今では、その多くが自然と瓦礫に埋もれている。 「──すごい」 思わず、息吹の口から言葉が漏れた。 「感動してるところ悪いけど」 業が言う。 「仕事なんだから集中して」 「! はい!」 気を引き締める。 今日の任務は、探索部による地上調査の護衛。 新人である息吹にとっては、初めての実戦だ。 少し離れた場所では、探索部の隊員たちが機材を確認している。 そしてそのさらに後ろ。 蒼は腕を組んで立っていた。 「......……」 特に何も言わない。 ただ、全員を見ている。 息吹は少し緊張しながら剣の柄を握った。 水色の刀身。 オルタイト製の剣。 その言葉を聞いたときのことを思い出す。 ──オルタイト。 アビサルが現れてから、地中や地上のあちこちで見つかるようになった特殊鉱石。 色によって性質が違う。 自分の剣に使われている水色は、エネルギー密度と重量のバランスがよく、加工もしやすい。 だから武器に向いている。 蒼の双剣には青と橙。 青はエネルギー密度が高くて重く、橙はエネルギー密度が低くて軽い。 業の短剣は紫。 特徴は少ないものの、武器として利用できる。 ──詳しいことまでは、まだ解明されていない。 けれど、一つだけ確かなことがある。 オルタイトで作られた武器は、アビサルに有効だ。 そして、もう一つ。 自分たちには、アビサルと戦うための力がある。 ──深界能力。 人によって異なる、特殊な能力。 同じものを持つ人間は存在しない。 息吹の場合は「重力操作」。 対象一体の重力を操る。 強くすることも弱くすることも。 方向を変えることもできる。 全ての深界能力は代償として、使用するたびに少しだけ生命力を消費する。 それでも、これがあるから、人類は戦える。 「終宮」 突然、蒼に呼ばれた。 「はい!」 「そろそろ始まる」 「了解です!」 蒼はそれだけ言うと、再び黙った。 その姿を見て、息吹は少し不思議に思う。 (──蒼隊長、戦わないのかな?) その疑問は、すぐに解消された。 「──来るよ」 業が言った。 地面が揺れる。 「え?」 「ズンッ!」 道路の一部が盛り上がった。 直後、瓦礫と土砂を撒き散らしながら、一体の獣型アビサルが姿を現した。 「アビサル!」 探索部の隊員が叫ぶ。 蒼は動かない。 ただ、息吹を見る。 「終宮」 「はい!」 「行ってこい」 息吹の心臓が跳ねた。 「……私が?」 「新人の力量を見せてもらうためだ」 蒼はそれだけ言った。 「……分かりました!」 息吹は剣を抜いた。 アビサルが咆哮する。 (四級程度か...) 初任務の相手としては十分な敵だ。 「──来い!」 アビサルが突進してくる。 息吹は横へ跳んだ。 爪が目の前を通り過ぎる。 「速い!」 (でも、避けられる!) 振り返ったアビサルへ、息吹は手を振りかぶった。 「──重く!」 腕を勢いよく振り落とす。 すると、アビサルの身体が地面へ叩きつけられる。 「グァッ!?」 そのまま動きを封じる。 「そこ!」 息吹が踏み込む。 水色の剣が閃いた。 一撃。 二撃。 最後の一太刀がアビサルを切り裂く。 黒い身体が崩れ―― 塵となって消えた。 「…......…」 息吹は剣を下ろす。 「勝った…」 「うん いいんじゃない?」 業が頷く。 蒼は少し離れた場所から戦闘を見ていた。 「悪くない」 「本当ですか!」 「ああ ただし、まだ力を使いこなせてはいない」 「……はい!」 蒼はそれ以上何も言わない。 でもそれだけで、息吹は次も頑張ろうと思えた。 ───────────────────────────────────── アビサルと討伐部員には階級がある。 五級、四級、三級、準二級、二級、準一級、一級の七段階ある。 五級は一般人でも備えがあればなんとか対処可能。 一級はホームを二層程壊滅可能なレベルの強さ。 あの後も、アビサルは何度か現れた。 五級。 四級。 また四級。 そのたびに、息吹が前へ出る。 「──重力操作!」 敵の動きを鈍らせる。 「そこ!」 剣を振る。 また一体、塵と化す。 消滅。 「次!」 息吹は少しずつ戦い方を覚えていった。 そして、そのたびに蒼はほとんど動かなかった。 腕を組み、 息吹を、新人を、周囲を見ている。 ただし一度だけ、 四級アビサルが突然方向を変え、探索部の一人へ襲いかかった。 「──!」 息吹が反応するより早く。 蒼の姿が消えた。 次の瞬間、 「──遅い」 蒼が探索部員の前に立っていた。 青と橙の混ざる一閃。 アビサルが吹き飛ぶ。 「……」 あまりにも一瞬だった。 蒼は何事もなかったかのように戻ってくる。 「続けろ」 「……はい」 息吹は思った。 (──この人) (やっぱり、強い) ───────────────────────────────────── 任務は順調に進んだ。 探索部が予定していた調査を終え、帰還の準備を始める。 「このまま何事もなく帰れそうですね」 息吹が言った。 「そうだといいけど」 業が答える。 蒼は少しだけ周囲を見回した。 「……」 「蒼隊長?」 「いや...」 蒼は何も言わなかった。 その直後だった。 「──ドンッ!!」 大地が揺れた。 「!?」 全員が振り返る。 遠くの建物の影。 そこから、大きめな獣型アビサルが飛び出してくる。 「三級……!」 業が構える。 「三級... それも上位か?」 蒼が言った。 息吹は剣を握る。 「私が──」 「行け」 蒼はやはり動かない。 「はい!」 アビサルが突っ込んできた。 (速い!) 「っ!」 息吹は紙一重で避ける。 「速い……!」 アビサルが方向転換。 また突っ込んでくる。 息吹は重力を操作する。 しかし、 「──間に合わない!」 アビサルが目前まで迫った。 その瞬間、 蒼が動いた。 「──そこまでだ」 一閃。 アビサルの攻撃が弾かれる。 「終宮 「もう一度」 「……はい!」 蒼は再び下がった。 息吹は息を整える。 (──速いだけだ...) (なら!) 「動きを読めば……!」 アビサルが走る。 「今!」 重力の方向を変える。 アビサルの身体が僅かに逸れた。 その隙。 「──っ!」 剣を振る。 (深く入った!) アビサルがよろめく。 「もう一度!」 重力を強める。 アビサルが地面へ落ちる。 「これで──!」 息吹が踏み込む。 だが、 「グォォォッ!!」 アビサルが最後の力で暴れた。 大きな身体が建物へ激突する。 「まずい!」 建物に亀裂が走った。 「倒れるぞ!」 蒼が叫ぶ。 轟音。 巨大なビルが傾く。 「逃げて!」 探索部員たちが走る。 だが、瓦礫の下に人が残っている。 「──!」 息吹が走り出す。 「終宮!」 「助けます!」 「無理はするな!」 蒼が叫ぶ。 「分かってます!」 息吹は重力を操作した。 倒壊の勢いを減らす。 「ぐっ……!」 生命力が削られる。 (...それでも!) 「まだ……!」 蒼も瓦礫を退ける。 業も救助に加わる。 「あと一人!」 「こっち!」 「いた!」 数十秒後。 最後の一人を救出した直後。 ビルが轟音を立てて崩れ落ちた。 息吹はその場に座り込んだ。 「……はぁ……はぁ……」 蒼が近づく。 「よくやった」 「……はい!」 「だが、単独で突っ込むな」 「……すみません...」 「次から気をつけろ」 「はい!」 蒼は頷く。 そして、初めて少しだけ笑った。 「これからも精進していけ」 「……!」 息吹の顔が明るくなる。 ───────────────────────────────────── ホームへ帰還した頃には、すっかり疲れ切っていた。 自室へ向かって歩く。 今日の出来事を思い返していると── 「──ねえ、聞いた?」 前方から声がした。 「何を?」 「第一層の外れでさ」 「またそういう噂?」 「本当なんだって!」 息吹は歩きながら、何となく耳を傾けた。 「別の探索部の人が見たらしいよ」 「何を?」 「……人が殺されてたんだって」 「アビサルに?」 「違う」 声が少し低くなる。 「人間に、だよ」 息吹の足が僅かに止まった。 「それにその場所、アビサルが倒された直後だったんだって」 「どういうこと?」 「周りに、アビサルが死んだ時に出る塵がいっぱい舞ってたらしいの」 「その塵の中で、人が殺されてたんだって」 「……」 「だから、最近こう呼ばれてる」 声が小さくなる。 ──── 塵の中の殺人鬼 ───── 「……都市伝説みたいな話じゃん」 「でも、第一層で目撃した人がいるらしいよ」 「誰だったの?」 「分からない」 「じゃあ殺人鬼の正体は?」 「それも分からない」 「……...なにそれ...」 二人の声が遠ざかっていく。 息吹はしばらく、その場に立っていた。 「……塵の中の、殺人鬼......?」
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