上下キーで音量タブ出したり消したり 「琥珀色の贈り物」 著者 @DCV-01 結城が死んだ日、私は初めて、彼が私を愛していたことを知りました。 そして同じ日に、彼が最後に残してくれたものの意味を知ったのです。 私たちは、中学からの知り合いでした。 ずっと、お互いに相手のことが気になっていいました。けれど、どちらも「好き」の一言を口にすることができませんでした。 だから成人した今でも、私たちは恋人ではありませんでした。 ただ、毎晩のように連絡を取り合う、名前のない関係だったのです。 そんな私たちの世界を変えたのが、「スピリ病」という恐ろしい病気でした。 感染した人間は、わずか一週間ほどで魂を失い、死に至るのです。 彼は大学の研究室に籠もり、昼も夜もなく研究を続けていました。 そして私は、そんな彼から届く短いメッセージだけを楽しみに、毎日を過ごしていました。 ――あの日までは。 当時23歳だった彼は、大学の実験室にこもって研究をしていました。 彼は、この病気は正体不明の呪いなどではなくウイルスによるものだと解明しました。彼はこの病気を「スピリ病」と名付けました。それからは、発生源や、どういった条件で人が死んでしまうのかを突き止めるため、寝食を忘れて没頭していました。 彼は研究を続けるうちに、感染した人間の症状が進行する速度には個人差があることにも気づきました。そして、ある薬品を使うことで、ウイルスの活動を一時的に抑えられることを発見しました。ただし、それは完全な治療薬ではありません。効果が切れれば、再びウイルスは活動を始める。それでも結城は、その薬を使いながら研究を続けました。私はそのことを、当時は知りませんでした。 一方、私はサラリーウーマンとして都心部で働いていました。 毎日の私の楽しみは、仕事が終わって、家に帰ってからの彼との連絡でした。付き合う約束も、会う約束も何もしていないけれど、彼はいつも私の他愛のない話に優しく付き合ってくれました。少しでも彼の特別な存在になりたくて、でも「ただの友達」の枠を壊すのが怖くて、私たちはいつも画面越しに、名前のない関係のまま連絡を取り合っていたのです。 ある日、いつも通り仕事から帰ってきた私は、彼に連絡を入れました。 普段なら、彼はもうとっくに研究を切り上げて、すぐに既読がつく時間です。 でも、その日は連絡がつきませんでした。 だけど、こういうことは過去に何度もありました。彼は一度実験室にこもると、何日も出てこない日がある人でした。「今回もきっと、研究に夢中になっているんだろう」──私はそう思って、寂しさを紛らわせながら待つことにしました。 それから、一週間が経ちました。 彼とは、まだ連絡がつきません。流石に心配が限界に達した私は、大学の学長さんに許可をもらい、彼の実験室に行くことを決意しました。二つ隣の町へ、列車に揺られて向かいました。 一応、彼のところへ行く前に「今から行くね」と連絡を一つ入れようと思い、鞄の中を漁りました。けれど、焦っていたせいか、携帯を家に置いてきてしまったようで入っていませんでした。私は連絡をあきらめ、そのまま大学へと急ぎました。 研究棟にある彼の部屋の前につくと、彼の部下たちがそこにたむろしていました。彼らはみんな、心配そうに硬い扉を眺めています。 思わず、私は声をかけました。 「結城は? 中にいるの?」 「それが、一週間出てきていなくて……」 部下の一人が青ざめた顔で答えました。 結城はいつも、私にこう言っていました。 『この実験は、実験中にも感染のリスクがある。だからここを開けていい時は、俺の連絡が途絶えた時だけ……もしくは、この病気を俺が脅威ではなくしたときだな』 と。 だけど、どうしても諦めきれなかった。廊下の隅で時計の針が進むのを見つめながら、私は焦りに焦っていました。連絡が途絶えてから、今日、この時間でちょうど一週間。もし彼がスピリ病にかかっていたとしたら、もう、本当に後がない……! 私はもう一度、あの冷たい鉄の扉の前に立ち、部下たちに向かって叫んでいました。 「今日で一週間だよ!? 中で倒れていたら、今開けなきゃ本当に手遅れになる! 結城は私に言ってたの!『連絡が途絶えた時がここを開けていい時だ』って! 彼はあなたたちを巻き込みたくなくて、一人で抱え込んでいたのよ! あなた達だって……悲しいでしょ、彼の最期がそんな……そんな……っ……!」 最後の方は、涙で言葉にもなりませんでした。 私の涙ながらの訴えに、部屋の前はしんと静まり返りました。部下たちは互いに顔を見合わせ、悔しそうに拳を握りしめています。 「……確かに、教授は『絶対に開けるな』と言いました」 一人の部下が、絞り出すような声で言いました。その目にも涙が浮かんでいます。 「でも……それは僕たちを守るための嘘だったんだ。僕たちは、開けて最悪の結末を見るのが怖くて、その言葉に逃げていただけだ。だけど、今日で一週間。教授の最期を、この扉の向こうで一人きりにさせるわけにはいかない……開けよう!」 部下たちが深く頷き、一人がついに重いセキュリティキーへと手を伸ばしました。 重々しい電子音が響き、密閉されていた分厚い扉がゆっくりと開いていきます。室内に満ちていた冷たい空気が、廊下へと流れ出してきました。 「結城……!」 私は部下たちを押しのけるようにして、真っ先に部屋へと飛び込みました。 薄暗い実験室の奥。デスクの前の椅子に、彼は腰掛けていました。うつむいたまま、ピクリとも動かない。 「教授!」「結城!」 一斉に駆け寄ろうとする研究員たち。しかし、その時、部屋の警告アラームがけたたましく鳴り響きました。 「しまった。室内のウイルス濃度が一時的に上昇しています! 防護服を! 一旦全員、通路へ退避して防護服を持ってきてください!」 「優香さん、あなたも早く!」 「嫌……私は行かない!」 「危険です! このままではあなたまで感染します!」 「……それでも離れたくない…」 「え?」 私は結城の手を握りました。 「だって……私は、この人を一人で死なせるためにここまで来たんじゃない」 震える声で、私は言いました。 「ずっと会いたかったの。ずっと心配だったの。だから……最後くらい、そばにいさせてよ……」 研究員たちは言葉を失った様子でした。 「……分かりました。でも、必ず防護服を着てください!」 「……嫌」 「優香さん!」 「今だけは……この人の手を離したくない」 「…わかりました。でも命の保証は…できません…」 「…わかりました」 研究員たちは防護装備を確保するため、足早に一旦部屋の外へと退避していきました。 静まり返った実験室。 警報の赤い光が明滅する中で、今、世界には結城と私の二人だけが残されていました。 「結城……嘘でしょう、結城……」 私はそっと手を伸ばし、彼の冷たくなりかけた手をつつみ込みました。 結城の顔は青白く、その瞳には光がともっていません。スピリ病。魂が完全に抜けてしまうと言われるその病に、彼は侵され、もう言葉を発する筋力さえ残されていませんでした。 私はそっと、彼の方に手をおきました。 その時──頭の中で、あの懐かしい彼の声が聞こえた気がしました。 『……優香』 『迎えに来てくれたんだ』 「結城……?」 『ずっと、君に言いたかったことがあったんだ』 私は涙を拭いながら、彼の手を握りました。 『僕は……中学の頃から、君が好きだった』 「……っ」 『ずっと、君の「ただの友達」のフリをしていてごめん』 「そんなの……私だって……」 『うん。分かってた』 ほんの少しだけ、彼が笑った気がした。 『でも……僕はもう、ずっと前からスピリに感染していたんだ』 「……え?」 『研究を続けるために、症状を抑える薬を使っていた。でも……もう、その薬も効かなくなってきた。 それに……僕が完成させた特効薬は、もう僕には間に合わない』 「……どうして?」 『スピリは、魂が失われ始めると、薬が効かなくなるんだ。僕はもう、その段階まで来てしまった。 大丈夫。僕は最後まで、研究を諦めなかった』 彼の声が、少しずつ遠ざかっていく。 『君の恋人にはなれなかったけど……最後に一つだけ、君に贈り物を用意したんだ』 「贈り物……?」 『あぁ』 『僕の最後のプレゼント。受け取ってくれるかい?』 その言葉を最後に、なにも聞こえなくなりました。 冷たい機械音だけが、彼の後ろで虚しく鳴っています。 「結城……」 数分間、自分の目の前が真っ暗になりました。頬に冷たい一筋の涙が光ります。 けれど、悲しみに沈む暗闇の中で、ふと彼が最期に伝えてくれた言葉を思い出しました。 『僕の最後のプレゼント──』 ふと彼の手元に目が止まりました。その手には、一本の小さなガラス瓶がしっかりと握られていました。 中には、静かにきらめく、美しい琥珀色の液体が入っています。ラベルには、彼の文字で『スピリ特効薬』と書かれていました。 「世界なんてどうでもいい、あなたがいなきゃ意味ないよ……! ……嘘つき。ずっと友達のフリなんてして、最期にこんなもの遺して、私を置いていくなんて、大嘘つき……っ……どうして……どうして……イヤーーーーー!」 どれほど時間が経ったのか分からない。ただ、私は泣き続けていました。 それからしばらくしてアラートが収まり、防護服を着た研究員たちが血相を変えて戻ってきました。 「優香さん! 大丈夫ですか!?」 研究員の一人が結城の脈をとり、悲痛な面持ちで首を振りました。 「……結城さんは、スピリ病でした。もう、手遅れです……」 溢れそうになる涙を堪えながら、私は立ち上がり、自分の手に持っているものを見せてこう言いました。 「はい……。でも彼は最期に、この残酷な世の中を救うプレゼントを用意してくれたんです」 私は震える手で、その瓶を高く掲げました。 涙は、まだ止まらないまま。 それでも私は、もう一度だけ、彼の名前を呼びました… 「……結城。あなたのプレゼント、ちゃんと受け取ったよ」 窓から差し込む朝の光が、琥珀色の液体を優しく照らしていました。 最後までご覧いただきありがとうございました