※今回は文字数により使い方の下にあるのでそこから読み進めてください! 第二章↓ https://scratch.mit.edu/projects/1388814402 第四章↓ https://scratch.mit.edu/projects/1388833933 登場人物 ・黒崎悠人 ・伊藤紬 ・その他〜 メモクレで読んでね〜! 表紙はチャッピーに頼みました! (チャッピー神すぎるっ!!!) 三月が終わって、四月になった。 桜が咲いたと思ったら、あっという間に散っていく。 冬のあいだ、あれだけ冷たかった風も、いつの間にか少しだけ柔らかくなっていた。 僕はその春、三年生になった。 高校生活最後の一年。 そう言われても、あまり実感はなかった。 去年の僕なら、そもそも学校に行くことすら考えていなかったのだから。 けれど、三年生になった最初の日。 僕は玄関に立っていた。 制服を着て、鞄を持って、靴を履いて。 しばらく動けずにいた。 玄関のドアの向こうには、学校がある。 人がいる。 知らない人もいる。 話しかけられるかもしれない。 失敗するかもしれない。 また、怖くなるかもしれない。 考え始めれば、いくらでも不安は出てきた。 それでも僕は、ドアノブに手をかけた。 去年までなら、ここで部屋に戻っていた。 でも今日は違った。 ポケットの中で、スマートフォンが震えた。 『ちゃんと起きてる?』 紬からだった。 僕は短く返信した。 『起きてる』 すぐに既読がつく。 『えらい』 『子供じゃないんだから』 『じゃあ、学校来たらもっとえらい』 思わず笑ってしまった。 それから、僕は玄関のドアを開けた。 外に出た。 それだけのことなのに、胸が少しだけ苦しかった。 けれど。 去年とは違う。 僕は、自分の足で学校へ向かった。 始業式の日。 昇降口には、久しぶりに見る顔がいくつもあった。 僕が長いあいだ学校を休んでいたことを知っている人もいる。 知らない人もいる。 誰かが僕を見ている気がした。 実際に見ていたのかもしれない。 でも、以前ほど気にならなかった。 気にしないようにしていた、というほうが正しい。 教室へ向かう途中、廊下の角を曲がったところで。 「おーい」 聞き慣れた声がした。 振り向く。 そこに紬がいた。 制服のリボンを少しだけ曲げたまま、こちらへ走ってくる。 「悠人!」 「……走るなよ」 「だって先行っちゃうから」 「別に待ってるだろ」 「ほんと?」 「ほんと」 「じゃあよかった」 紬は笑った。 その笑顔を見ると、不思議と肩の力が抜ける。 「クラス、どこだった?」 「三組」 「えっ」 紬が目を丸くした。 「私も三組」 「……本当?」 「うん」 紬は掲示板を指差した。 そこには、三年三組の名簿が貼り出されていた。 僕の名前。 そして、その少し下。 伊藤紬。 同じクラスだった。 「やった」 紬が小さく拳を握る。 「……そんなに嬉しい?」 「嬉しいよ」 「なんで?」 「だって」 紬は少しだけ考えてから、当たり前みたいに言った。 「三年生、一人だったら寂しいじゃん」 「……そうだな」 「それに、悠人がちゃんと学校来てるの見られるし」 「監視する気?」 「うん」 「怖いな」 「安心して。悪いことしたら見逃すから」 「それは監視じゃないだろ」 二人で笑った。 それだけの会話だった。 でも僕にとっては、それだけで十分だった。 二年間。 同じ学校に通っていたのに、僕たちは同じ教室にいたことがなかった。 廊下で会うことも、ほとんどなかった。 それが最後の一年になって、初めて同じクラスになった。 なんだか、少しだけ不思議だった。 「じゃあ、行こう」 「うん」 僕たちは並んで教室へ向かった。 教室に入ると、当然のように人がたくさんいた。 席を確認する。 僕は窓側の後ろから二番目。 紬は僕から三つ前の列だった。 斜め前。 近いような、遠いような。 紬が自分の席に鞄を置いてから、こちらを振り返る。 「近いね」 「そうだな」 「授業中、寝てたら起こしてあげる」 「寝ないよ」 「去年、寝てたじゃん」 「……なんで知ってるんだよ」 「知ってるよ」 「怖いな」 「だから監視だから」 また笑う。 先生が入ってきて、教室が静かになった。 僕は前を向いた。 けれど、少しだけ嬉しかった。 同じ教室に紬がいる。 ただ、それだけのことが。 こんなにも安心する。 僕はそのことを、まだ深く考えないようにしていた。 三年生になってから、僕は毎日学校へ行くようになった。 最初は、それだけで疲れた。 朝起きる。 制服を着る。 電車に乗る。 人のいる場所を歩く。 授業を受ける。 休み時間に人の声を聞く。 昼休みに教室にいる。 放課後になれば、また帰る。 たったそれだけなのに、一日が終わる頃には身体中の力が抜けていた。 それでも、少しずつ慣れていった。 誰も僕のことをずっと見ているわけじゃない。 誰も僕の一挙一動を気にしているわけじゃない。 僕が思っていたほど、世界は僕に興味を持っていなかった。 その事実に気づくまで、ずいぶん時間がかかった。 「悠人」 ある日の昼休み。 紬が僕の机の横に立った。 「何?」 「お昼、屋上行かない?」 「屋上?」 「うん」 「入れるの?」 「たぶん」 「たぶんって……」 「大丈夫大丈夫」 紬は笑った。 僕は嫌な予感しかしなかった。 「怒られない?」 「たぶん」 「二回目のたぶんは信用できない」 「じゃあ、悠人は教室で一人で食べる?」 「……」 「私は行くけど」 「……行く」 「よし」 紬は満足そうに笑った。 屋上へ続く階段は、校舎の端にあった。 普段はほとんど使われていないらしく、人の気配がなかった。 紬が扉の前に立つ。 「開くかな」 「開かなかったら?」 「そのときは戻る」 「最初からそうしてほしい」 紬がノブを回す。 カチャリ。 扉が開いた。 「開いた」 「本当に開くんだ……」 「ほらね」 屋上には、誰もいなかった。 四月の風が吹いていた。 まだ少し冷たい。 空は青くて、遠くに雲が浮かんでいる。 街が見えた。 校庭も。 近くの住宅も。 遠くを走る電車も。 教室とは全然違う場所にいるみたいだった。 「ここ、いいね」 紬が言った。 「うん」 「人いないし」 「それ重要?」 「重要」 僕たちはフェンスから少し離れたところに座った。 それぞれ弁当を出す。 「いただきます」 「いただきます」 最初は、普通に昼ご飯を食べた。 唐揚げ。 卵焼き。 ご飯。 味噌汁は持ってこられないから、お茶。 特別なものは何もない。 なのに、妙に心地よかった。 「ねえ」 「ん?」 「悠人ってさ」 「何?」 「学校、来るようになってよかった?」 箸が止まった。 僕は少し考えた。 「……うん」 「そっか」 「まだ疲れるけど」 「知ってる」 「なんで?」 「顔に書いてある」 「書いてない」 「書いてあるよ」 紬が笑う。 僕も少し笑った。 「でも」 僕は空を見ながら言った。 「来てみたら、思ってたより普通だった」 「うん」 「ずっと怖いと思ってたんだけど」 「うん」 「……怖いことばかりじゃなかった」 「うん」 紬は、それ以上何も言わなかった。 そのことが、ありがたかった。 僕が学校へ戻れた理由を、紬だけの存在にしたくなかった。 実際、紬がきっかけだったのは間違いない。 でも、最後に玄関のドアを開けたのは僕自身だった。 それを、紬は分かってくれている気がした。 「私ね」 しばらくして、紬が言った。 「悠人が学校に来るようになって、ちょっと安心した」 「何が?」 「ちゃんと、自分の世界を広げてるんだなって」 「……世界?」 「うん」 紬は空を見た。 「私たち、去年までは放課後とか休日にしか話してなかったじゃん」 「そうだな」 「それが今は、学校でも話せる」 「うん」 「なんか、変な感じ」 「僕も」 紬は笑った。 「でも、嬉しい」 「……うん」 僕は弁当箱に視線を落とした。 こういうとき、どう返せばいいのか分からない。 紬は、僕よりずっと自然に気持ちを言葉にする。 僕はいつも考えてからじゃないと、言葉が出てこない。 だから。 僕はいつも少し遅れる。 「ねえ、悠人」 「何?」 「悠人はさ」 紬は少しだけ声を落とした。 「昔、何があったの?」 箸を持つ手が止まった。 風が吹いた。 フェンスの向こうで、校庭の木が揺れた。 僕はすぐには答えなかった。 「……どうして?」 「なんとなく」 「なんとなく?」 「うん」 紬は僕を見る。 「去年、私が初めて会ったときから、悠人って人が怖いっていうより……」 少し言葉を探すようにして。 「人にどう思われるかを、すごく気にしてる感じがした」 胸の奥がざわついた。 「……よく見てるな」 「見てたから」 「怖いよ」 「だから監視だって」 「それ、便利な言葉だな」 二人で少し笑った。 でも、笑いが消えたあと。 僕は空を見た。 「……中学の頃」 口に出した瞬間。 昔の記憶が、少しだけ戻ってきた。 続き↓メモクレ
僕は昔から、人と話すのが得意ではなかった。 でも、中学生になる前までは。 それほど困っていなかった。 友達もいた。 休み時間には一緒にゲームの話をした。 テストの点数を競ったり。 帰り道にコンビニへ寄ったり。 普通だった。 少なくとも、僕自身は普通だと思っていた。 変わったのは、中学二年の頃だった。 きっかけは、本当に小さなことだった。 クラスで、ある男子が先生に怒られていた。 その男子とは、特別仲がよかったわけではない。 でも、僕は彼が悪くないことを知っていた。 だから、先生に聞かれて。 僕は言った。 「それ、彼じゃないと思います」 ただ、それだけだった。 けれど。 僕の言い方が悪かった。 先生は僕がその男子をかばっていると思った。 周りもそう思った。 その日の放課後。 何人かに聞かれた。 「なんでかばったの?」 「仲いいの?」 「先生に逆らったんだって?」 「別に……」 違う。 そう言いたかった。 ただ、本当のことを言っただけだった。 でも、うまく説明できなかった。 僕は昔から、言葉にするのが遅かった。 考えているあいだに、相手が次の話題へ進んでしまう。 だから、黙る。 黙ると、今度は「何か隠してる」と言われる。 それが嫌で、さらに黙る。 そんなことが何度か続いた。 そしてある日。 僕が何気なく言ったことが、別の意味で伝わっていた。 誰かを悪く言ったつもりなんてなかった。 でも。 そう受け取られてしまった。 その日から、僕は自分の言葉が怖くなった。 何を言っても。 相手がどう受け取るか分からない。 冗談を言えば、傷つけるかもしれない。 意見を言えば、嫌われるかもしれない。 何かを否定すれば、敵だと思われるかもしれない。 だから。 話さないほうがいい。 そう思うようになった。 少しずつ友達と話さなくなった。 昼休みは一人で過ごすようになった。 放課後はすぐ帰った。 家に帰れば、誰とも話さなくていい。 それが楽だった。 楽だったから。 僕は、その場所から出られなくなった。 「高校に入ってからも?」 紬が聞いた。 「うん」 「誰かに何かされたわけじゃない?」 「……うん」 「じゃあ」 紬は少し考えて。 「自分で怖くなっちゃったんだ」 「……そうだと思う」 僕は苦笑した。 「大したことじゃないんだよ」 「大したことあるよ」 「でも、誰かに殴られたとか、いじめられたとかじゃない」 「そういうことだけが辛いことじゃないでしょ」 紬の声は、静かだった。 「人によって、怖いものは違うよ」 僕は何も言えなかった。 「悠人はさ」 「うん」 「たぶん、すごく真面目なんだと思う」 「……それは褒めてる?」 「褒めてる」 「でも、真面目すぎると疲れるよ」 「……そうだな」 「私なんて、失敗しても『まあいっか』で終わるから」 「それはそれでどうなんだ」 「いいの」 「よくないだろ」 紬が笑った。 「だから、ちょうどいいんだよ」 「何が?」 「私と悠人」 「……」 「悠人が考えすぎたら、私が『まあいっか』って言う」 「僕が紬の暴走を止める?」 「そう」 「それなら釣り合ってるな」 「でしょ?」 僕も笑った。 けれど。 胸の奥では、別のことを思っていた。 僕はたぶん。 紬が羨ましかった。 失敗しても笑えるところ。 思ったことを言えるところ。 誰かに話しかけられるところ。 それでも、人の気持ちをちゃんと考えているところ。 僕にはないものを、紬はたくさん持っていた。 「でもね」 紬が言った。 「私にも、苦手なことはあるよ」 「例えば?」 「病院」 「……」 去年も聞いた言葉だった。 僕は紬を見る。 彼女は笑っていた。 「昔から病院って苦手」 「注射?」 「それも嫌」 「子供みたい」 「うるさい」 紬が頬を膨らませる。 「でも、本当に嫌なんだよ」 「……そう」 「小さい頃、よく行ってたから」 その言葉だけが、妙に残った。 「体、弱かったの?」 「うん。ちょっとね」 「今は?」 「今は大丈夫」 紬はそう言って笑った。 その笑顔があまりにも自然だったから。 僕は、それ以上聞かなかった。 屋上で昼食を食べるようになったのは、それからだった。 毎日ではない。 雨の日は教室。 先生に見つかりそうな日は図書室。 それでも、天気のいい日は屋上へ行った。 二人で弁当を食べる。 授業の愚痴を言う。 先生の口癖を真似する。 クラスメイトの変な癖を見つける。 くだらない話をする。 そんな時間が増えていった。 そして、五月のある日。 いつものように屋上で昼食を食べていると。 「悠人は、将来何になりたい?」 紬が聞いた。 「将来?」 「うん」 「急だな」 「三年生だよ?」 「そうだけど」 「進路希望調査も来たじゃん」 「ああ……」 僕は鞄の中に入れっぱなしだった紙を思い出した。 「もう書いた?」 「まだ」 「私も」 「紬は何になりたいの?」 「先に悠人」 「なんで」 「聞きたいから」 僕は少し考えた。 「……出版社」 「出版社?」 「うん」 「編集者とか?」 「そういう仕事」 紬は意外そうな顔をした。 「なんか、似合う」 「そう?」 「うん。本読んでそう」 「実際読むし」 「知ってる」 「なんで知ってるんだよ」 「家に遊びに行ったとき、本棚見たから」 「勝手に見たの?」 「見えるところにあったから」 「……」 僕は呆れた。 でも、紬は嬉しそうだった。 「どうして出版社なの?」 僕は本を一冊取り出した。 普段、昼休みに読むために持ってきている小説だった。 「昔から本が好きだったから」 「うん」 「でも、それだけじゃなくて」 僕は本の表紙を指でなぞった。 「文章って、不思議だと思うんだ」 「不思議?」 「直接話したら、うまく言えないことでも」 少し考える。 「文章なら、時間をかけて伝えられるから」 「……うん」 「僕は話すのが苦手だけど」 苦笑した。 「本を通してなら、誰かに何かを届けられるかもしれないと思った」 紬はしばらく黙っていた。 そして。 「いいね」 と言った。 「何が?」 「それ」 「……そう?」 「うん。悠人らしい」 その言葉が、嬉しかった。 「紬は?」 「私はね」 彼女は空を見た。 「保育士」 「保育士?」 「うん」 「意外じゃないな」 「ほんと?」 「子供に好かれそう」 「でしょ?」 「でも、子供に振り回されそう」 「それもある」 紬が笑う。 「昔から子供が好きだったの?」 「うん」 少し間を置いて。 「病院にいたときね」 紬は言った。 「小さい子がいっぱいいたの」 僕は黙って聞いた。 「病気の子もいたし、元気な子もいた。でも、みんな暇だからさ」 「うん」 「折り紙したり、お絵描きしたりしてた」 紬は遠くを見るような目をした。 「そのとき、看護師さんとか先生が、すごく優しくしてくれたんだ」 「……うん」 「だから私も、子供にとって安心できる人になりたいなって」 風が吹いた。 紬の髪が揺れる。 「怖い場所にいる子ってさ」 「うん」 「誰かがそばにいてくれるだけで、ちょっと安心するじゃん」 「……そうだな」 「そういう人になりたい」 紬は笑った。 「だから、保育士」 「似合うと思う」 「ほんと?」 「うん」 「じゃあ、悠人は?」 「僕?」 「うん」 「僕は……」 少し考えて。 「紬が書いた絵本を、僕が編集する」 言ったあと。 自分で少し恥ずかしくなった。 「……何それ」 紬が笑った。 「いいじゃん」 「冗談」 「私は本気でもいいけど」 「……」 「将来、一緒に仕事してたりして」 「そんな都合よくいくかな」 「いくかもよ」 「そうかな」 「分かんないけど」 紬は笑った。 「でも、そうなったら面白いね」 僕も笑った。 未来なんて、まだ何も決まっていない。 進学する学校も。 就職する場所も。 住む場所も。 何年後に何をしているかも。 何も分からない。 それでも。 その瞬間だけは。 なんとなく、未来が明るく見えた。 六月。 梅雨に入ると、屋上へ行ける日は減った。 雨の日は図書室で過ごすことが増えた。 窓を叩く雨音を聞きながら、紬と並んで本を読む。 ときどき、何も話さない。 でも、気まずくなかった。 以前の僕なら。 誰かと黙っている時間が一番苦手だった。 何か話さなければ。 何か言わなければ。 そう思って、頭の中が疲れてしまう。 でも、紬とは違った。 何も言わなくてもいい。 そう思えた。 ある日の放課後。 雨が降っていた。 僕たちは昇降口で雨が弱くなるのを待っていた。 「傘、持ってきた?」 紬が聞く。 「持ってる」 「私は忘れた」 「なんで?」 「朝、晴れてたから」 「天気予報は?」 「見てない」 「……」 「何その顔」 「呆れてる」 「ひどい」 紬が笑う。 「じゃあ、駅まで一緒に入れて」 「いいけど」 僕は傘を開いた。 二人で歩く。 傘が少し小さい。 肩が触れそうになる。 紬が近い。 妙に意識してしまう。 「悠人」 「何?」 「最近さ」 「うん」 「学校、楽しい?」 「……うん」 「よかった」 紬は前を向いたまま言った。 「三年生、あっという間だね」 「まだ始まったばかりだろ」 「でも、もう六月」 「そうだけど」 「あと半年くらいしかないよ」 その言葉を聞いた瞬間。 胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。 あと半年。 高校生活が終わるまで。 紬と一緒にいられる時間も。 ずっと続くわけじゃない。 そんな当たり前のことに。 僕は初めて、現実味を感じた。 「……卒業したら」 僕が言う。 「うん?」 「紬は、どうするの?」 「進学」 「どこ?」 「まだ決めてない」 「そっか」 「悠人は?」 「僕もまだ」 二人とも黙った。 雨の音だけが聞こえる。 「ねえ」 紬が言った。 「卒業してもさ」 「うん」 「友達でいようね」 僕は一瞬だけ言葉に詰まった。 「……当たり前だろ」 「ほんと?」 「ほんと」 「じゃあ約束」 「また約束?」 「うん」 紬が小指を出した。 僕は少し笑って。 その小指に、自分の小指を絡めた。 「約束」 去年のクリスマスにもした約束。 あのときと同じだった。 でも。 今は少しだけ違う。 僕は紬のことを、ただの友達だと思えなくなっていた。 もちろん。 まだあの気持ちは言えない。 言うつもりもない。 そんなことを考えるだけで、怖かった。 もし言ったら。 今の関係が変わってしまう。 もし嫌われたら。 もし困らせたら。 もし距離を置かれたら。 考えるだけで怖い。 だから。 僕はまだ、この気持ちに名前をつけなかった。 けれど。 以前とは違っていた。 僕はもう、気づき始めていた。 紬といる時間が好きだ。 紬の笑顔を見ると嬉しい。 紬が誰かと楽しそうに話していると、少しだけ寂しい。 紬が体調を崩していると、不安になる。 紬が未来の話をすると、その未来に自分もいたいと思う。 それが何なのか。 僕には、まだ分からないふりをしていた。 六月。 雨の帰り道。 僕は傘の中で、隣を歩く紬を見た。 彼女は何も知らずに笑っていた。 「悠人、何見てるの?」 「……別に」 「また考え事?」 「そうかも」 「考えすぎないようにね」 「努力する」 「えらい」 「だから子供じゃないって」 紬が笑った。 僕も笑った。 雨はまだ降っていた。 けれど。 僕たちはそのまま歩いていった。 高校生活最後の一年は。 まだ始まったばかりだった。