リジェクトされないかテストしてるだけ
ネットでもリアルでも、例外なくオリジナルのキャラクターを用いて創作活動を行ってきた。 これは私が絵を描くうえで当たり前の大前提であり、20年以上生きていた中でそれが覆ることはなかった。 2024年、多くの人や企業がXやInstagramというインスタントなネットワークに流れていく中で、私は個人のブログを立ち上げ、基本的にそこでのみ作品を公開するようにした。 色々理由はありますが、結局のところ、自分がどうして絵を描くかという理由は一つしかなかったからです。 自分の為に描く。 自分の機嫌の為に描く。自分の好きなものの為に描く。 ただ、それだけでした。 それ以上の理由はなかったはずでした。 オリジナルキャラクターのグッズが見たい、こんな姿の絵が見たい、このシチュエーションが見たい。 こんなキャラがいたら凄く素敵だろうなと、きっと楽しいだろうなと。 極々普通の、当たり前のことしか考えていなかった。 はずだったんです。 最初の方は良かった。 自分だけのスペース、自分でレイアウトも考えられるし、誰にも文句は言われない。 当然ながら、ソーシャルな場所ではなくて、リンクを知っている人しか来ないから、見てくれる人はとても限られていたけども、本来の目的は自分の為だから。 自分が楽しいから描いて、それを自分だけの場所に置いて、自己満足に入り浸る。 これだけで、いや、これこそが私の中での、家族の健康の次に、一番の幸福でした。 それが、いつ変化を遂げてしまったのか、覚えていません。 私はいつの間にか、自分の好きなもので、自分の好きなものを突き落とす行為に走っていたみたいです。 ブログを更新しなくてはいけない、しないと駄目だ。 理由もなく、そんな自分を叱咤する声が、少しずつ大きくなっていってしまいました。 原因として考えられるものとしては色々ありますが… 恐らくその理由は3つです。 一つ目は精神と日常の崩壊だ。 最後に公開したFighterは、2024年即ち私が10代最後に取り組んだ大作(自己比較)でした。 この時にはもうすでに、その陰がさしていた気がします。 仕事を初めて1年経ち、既に仕事をぶん回していた時です。 私は知らず知らずのうちに会社の奴隷となり、夜中に仕事関係の電話をすることすら当たり前になり、朝起きた時には動悸がし、とても熱が高く思うのに実際には35℃という日々を過ごしていました。 会社に行けば何も出て来やしないのに嗚咽が止まらず、昼は16時、最悪な時は食べられない時もあり、家を出るのは7時なのに帰ってくるのは22時過ぎることもありました。 私の仕事のことは正直どうでも良くて、重要なのはそれによって、つまり社会の抗えぬ歯車によって薬漬けにされたことです。 これが私に大きな影響を与えました。 何せ精神を強制的にコントロールさせるものなので、まともな状態なわけがありません。 会社で働くことも、自分を真っ当とさせることも、今までは全くどうともなかったこと、つまり苦でも何でもないことが、ひっくり返って文字通り全部が私の苦しむ要因となりました。 今までのまともだった私自身が、私の敵となって立ち憚ったのです。 人生の中で、ライバルは自分自身だと思ったことは何度かありますが(過去の作品を超えるためにアニメーションを向上させるとかね)、そんな非ではありませんでした。 すぐ後ろを振り返れば、毎日日記を書いて、毎日絵を描いて、ブログも何も思わず投稿していた、ただの「日常」がある。 なのにそれが、「やらなくてはいけないことだけど今のお前には絶対に無理なモノ」に変貌し、当時を生きていた私及び現在の私をも苛ませています。 当時は全くその事実に気が付いていませんでしたが、今思うとあれが私の人生を大きく狂わせたきっかけになったと思っています。 というか、そう信じたいです。 あの時、社会が私の心身を潰したことで道を大きく外され、しかし皮肉にもそれが凄く良い出会いや経験をもたらしたことに繋がったりしたので、全てが一概に悪いとは思えないですが、それにしても代償があまりにも大きすぎる。 何故ならその中に、私の人生を語るに欠かせない創作を粉々にした要因が含まれているからだ。 今、私は独立して、一人で自分の世話をして、ご飯を毎日作って、新しい仕事に就いて、より人間らしい生活を送ることになっていますが。 日常の中から「オリジナルキャラクターたち」が消えた状態で新生活を切ってしまったことが、とても悔やまれる。 もう自分で自分の世話をしない事は出来ないし、そこにもう一度オリジナルキャラクターたちを組み込んでいく自信が全くと言っていい程無くなっているんです。 一体、私の愛すべき子供たちは、どこに行ってしまったんだろう。 薬の効果と共に、脳からいなくなってしまったのだろうか。 以上が一つ目の理由です。 2つ目は、プレッシャーだ。 先程、私のブログはリンクを知っている人ではないと入れないと綴ったが、表立った活動を完全に辞めていたわけではありませんでした。 日本でトップシェアを誇るメッセージアプリ、LINEのオープンチャットと呼ばれるサービスにて、私は頻繁にアートトレードを募集していました。 その時に知り合った人々の内に、私のオリジナルキャラクターとその世界を熱狂的に好きになってくれた人が現れました。 そしてその人はことあるごとに私のことや私の作品たちをほめちぎり、アートトレードでもないのに沢山の素晴らしい絵を送ってくれました。 当然その人は私のブログの更新を非常に待ち遠しく思ってくれていて、それはすなわち私にとって最高の読者であり、友人でありたい人でした。 しかし、情報を発信する人間になる以上は、責任が伴うもの。 その人が私に直接せかすようなことはほとんどしませんでしたが、私自身がその事実を受け止めきれず、寧ろブログから自分の意欲を引き離すきっかけに変えてしまったのです。 正直なところ、このメカニズムについては完全に自己分析が終わっていません。 どうして見てくれる人がいるのに、しかも嘘偽りなく尊敬してくれる人なのに、もっと見せることが億劫になってしまうのだろうか。 私も過去に例の色んなインスタントなSNSをやってきていたが(Scratchもそのうちの一部)、こんな風に胃がもたれることはなかった。 本当になかったのだ。 寧ろ、褒められるほど、評価されるほどに意欲は比例していくものだった。 普通はそうであるべきというのも、勿論頭では分かっている。 なのに、説明がつかないがそれができないのだ。 それどころか力はどんどん引き離しに向かっていくのだ。 どうしてだろうか。 本当に分からないので困っている。 一応の仮説としては、理由1に述べた通り、自分のキャラクターたちを自分で愛せない状態に陥っていた中で、そのように言われたことにより、自分が描かないと世界は広がっていかないのに、自分が本家なのに、今の自分の熱量を遥かに超える人物が現れたことによってもはや諦めに近い感情が出てきてしまっているのではないかというものを立てています。 本当にあの状況というのは、創作者たちにとっては間違いなく幸せの際骨頂と言える状態なんでしょう。 でも、そうであることを理解するごとに、自分の気持ちは反比例していってしまうのです。 そして私は、自分の創作をもっと強いものに、綿密なものにしていくこと自体に恐れに近い何かを抱くようになってしまいました。 こんな嘘みたいことが起こってもいいものなのでしょうか。 その有難い、命の源であるべき素晴らしい言葉たちが、凄く、苦しく刺さって、抜けません。 これがプレッシャーというものでしょうか。 私が2つ目の理由でこれを語った理由が以上です。 そして3つ目は、既に何度も綴っていることと同じだが、オリジナル作品への愛情の欠落だ。 オリジナルキャラクターを描くのが辛い。 ブログの更新が辛い。 だけど、何か絵を描きたいという欲だけは、収まらなかった。 私はいつの間にか、ファンメイド作品を作るようになった。 今まででも、ポケモンや妖怪ウォッチのようなキャラクターを、息抜きとして描くことはあった。 だがしかし、それらがメインや主軸となることは今までになくて、ただの気まぐれのようなものでしかなかった。 特にポケモンは大好きだが、それでも1枚のイラストを描いたり時間をかけて作品を制作するなんてことは本当に稀だった。 それが、SPRUNKIというホラーゲームのキャラクターを交えて現実となってしまったのだ。 正直なところ、SPRUNKIのキャラクターはみんな可愛いしとても手軽に描ける。 これが私を、本来の独自のアートの文化に引き戻すのを、堅くとめている要因になっていると思う。 どうしてこんなことになってしまったのか本当に分からないが、きっと理由はとてもシンプルで。 単純に「楽しい」からだと思う。 楽しくなかったら描かないし、楽しいと思うからもっとその奥へ潜っていきたいと思う。 こんな作品を作りたい、こうしたらもっと良くなるんだろうか、これもやってみたいな… これらの感情は、かつての私がずっとオリジナルキャラクターに抱いてきたものと正に同じものだった。 私は、自分で作り出した、自分にとって最高傑作だった作品を殆ど手放した状態で、他者が作った別のものにのめり込むようになってしまったのだ。 しかもタチの悪いことに、私が好きになったのはただのSPRUNKIではなく、私の捏造が大量に入り混じったオリジナルAUだった。 結局自分の世界を展開したいという気持ちは変わっていないのに、完全なオリジナルキャラクターに向き直るのは胃がもたれる。 つまりこれは私が脳細胞レベルで自創作を忌避しているという何よりの証拠となるのだ。 これほどまでに屈辱的なことがあるだろうか。 …一つ残しておきたいことだが、私は決してSPRUNKIを悪者扱いしたり、SPRUNKIは勿論ポケモンやそのほかの作品すべてにおけるファンメイドに熱心に取り組んでいる人たちを軽蔑している訳では全くない。 ファンメイド作品だって、寧ろ立派な作品で、その界隈を盛り上げる要因の一つになり得るのだから。 でも、私の場合は、私の中でのポリシーがあって、オリジナル作品が自分にとっての桃源郷であり誰にも引けを取らない唯一無二のユートピアであれという姿勢がある。 そのポリシーはずっと心に大事に抱えているのに、脳や手はそんなことをお構いなしにスルスルと違うものを描いていく。 本来の私は、こんなことをしている場合ではないはずなのに。 でも、SPRUNKIは確かに素晴らしいし、描いていて楽しいし、正直ファンメイドの活動名義も作ってしまえばいいじゃないかという領域まで来ている。 実際、まだ記事作成には至っていないが、いつでもファンメイド投稿が出来るようにブログページを用意した。 ある意味、創作の別の扉を開いて、新しい世界を開拓したと言えようか。 でも、私がその世界について世界を広める程、今までずっと大事にしてきた、人生の大半を占める私だけの庭が枯れていってしまうのだ。 SPRUNKIを嫌いになる事もない。憎むこともしない。 でも、私が20年も連れ添わせてきたオリジナル作品というのは、たった半年前に知った大衆的なキャラクターたちに、簡単に折れてしまう程度のものだったんだなと知って、絶望に近い感情を抱かざるを得ない。 これはまごうことなき、自分への愛情の欠落。3つ目の理由です。