今日は祖父の葬式。厳しかったけど、でも優しい。そんな人だった。ただ、その気持ちを私は…。 帰り道。私はバスに乗って帰っていた。 いつの間にか寝てしまっていたようだ。起きると私以外に乗客は数名いるものの、とても静かだ。 そんな中起きたのは、降車ボタンが押されたからだろう、眼の前のボタンが赤く光っていた。どうやら文字がかすれているようだが、形状でも分かる。 バスが停留所に停まる。最初に降りてからすぐに振り返ると、そこには普段よく見る家々と、夕暮れの空が視界いっぱいに見える。 でも、なにか違和感がある。 その時、声が聞こえた。 「なんで、◯◯がここにいるんじゃ…?」 聞き覚えがある女性の声。祖母だ。 その時、停留所にバスが来る。 大きな音を立てて停まり、プシュー、とドアが開く。 「このバスは――」 「◯◯、お前はこの世界にいてはいけない、早くそのバスに乗るのじゃ!」 私はとても驚く。祖母がアナウンスを遮るほどに大きな声を上げるのを初めて聞いたからだ。 そして私はバスに乗った。 でも、なんかおかしいような…。 私、今日、泣いている祖母を見なかったっけ…?
※全てはあくまで一個人の考察です。正しいとは限りません。あらかじめご了承下さい。 序幕{『私』はストーリー内でバスを降りてから『祖母』を『一度も見ていない』ようですが『声だけ』で相手を『推測』しているみたいですね。では、会話していた『本当の相手』とは…!} バスに乗って冥界(『この世界』)に来た『私』は『祖母』の強い感情から面影の憑った『祖父』によって現世に帰るバスへ送り込まれた。『祖父』の生前は『厳しく優しい性格』だったため『大声』を出しているのはその名残だろう。実際の『祖母』が『大声』になることは恐らくない。帰りに『私』が乗った『バス』は『私』が寝ている間に『事故』に逢った可能性が高い。そのことを示唆する内容が文中に数多く登場している。では、それはどこだろうか?まず、『静かな車内』はなぜだろう…事故の影響でその状況を目の当たりにし、『自身の死』を『悟ってしまった他の乗客』は会話することなく『静か』に自身の行く末を甘んじて受け入れている。と考えられないだろうか?彼らは現場で救急に搬送される中で『意識』を取り戻すことは難しいかもしれない。それに、事故であったと仮定すれば、その他の違和感も説明される。『私』が起きたのは本当に『降車ボタン』が原因だろうか?本当の原因は『事故の衝撃』だったと捉えることもできるかもしれない。『赤い光』は『降車ボタン』ではなく別の光…事故に駆けつけた『救急車』からの光ではないか?『文字』が掠れているのではなく、掠れているのは自身の『眼』や『意識』ではないか?『私』が今感じ取れている感覚はかなり曖昧なもので辛うじて『形』"だけ"を認識している。『目の前』ではなく、『眼の前』と表記された裏には、『眼』が主に眼球(光を感知する器官)である一方『目』は眼球や、まぶたなど周辺のパーツを広く含むという意味から『瞼などの周囲のパーツを含まない表現』であることを踏まえて、バスが進むにつれて『私』の『肉体』と『精神』の乖離の確実な進行やその前兆を暗示している。バスを降りて『冥界』に辿り着いた時、それまで狭まっていた視界が『死後の世界』で自身の『肉体』から『精神』が離れたことで、機能が鈍っていた『視力』が擬似的に『別の形』で回復した。その視野の差が『視界いっぱいに広がる景色』と『違和感』を生み出しているのでは?ではその『景色』についても詳しく考えてみよう。たまたま『私』が起きたタイミングで『見覚えのある街並み』そんな偶然はありえるのだろうか…否、バスを降りてからすぐに振り返ったのは『無意識』に『生前』を振り返ろうとしている。『死の受け入れ』が進行し始めたということ。その地の実際の風景ではなく『私の意識』が生み出した『架空の景色』であり、この地が自分のいるべき場所だという『冥界』が『獲物(私)』を逃さないための『死への誘い』である。『私』を『現世』へと帰さずにその地に縛るために生まれた『幻想』…『私』の『死の受け入れ』を『助長』するための『罠』であるかのように思われる。ここに関しては別のパターンも考えられる。『私』は『冥界』を『本能』で拒絶していた結果、周りの『本来の景色』を受け入れることは叶わず、『精神』を安定させるための『現実逃避』という『処置』だったのかもしれない… ところで、この話の最後では、『私』は『祖父』のおかげで『現世』へと帰っているように読み取れる。では、何故『祖父』が帰ることは叶わないにも関わらず『私』はバスに乗れたのだろうか。その要因は『私自身』が知っている『認識』に関わっているのではないか?先程述べたように『私』は事故の最中は寝ていた…詰まり、『私』は『事故』に気づいていない。それは、『他の乗客』と異なり『死をまだ受け入れていない』ことを示す。『祖父』の場合は『冥界』に留まりすぎたことが原因として考えられる。『私』が『幻覚』を見ていたように『冥界』の『長居』はその地との結び付きを強固なものにする後押しとなる。そのため、『祖父』は自分が戻れない代わりにまだ『救われ得る孫』を助けるために『私』を帰したのだ。死んでも尚『祖父』の優しさは『健在』であった。『静かな偽りの街』で『大声』を発してでも『孫』を救うために…果たして、『私』がこの後最初に見る景色は病室の天井だろうか?それとも、『私』に『幻覚』を作り出す程の『執着』は『バス』程度で『冥界』から『現世』へ連れ出すのを見逃してくれたのだろうか?そもそも、『事故』は『偶然』だったのだろうか?『祖母』の『祖父』への何らかの強い感情は『良心』だったのか?一方で『孫』に対する思いは如何様なものだったのだろうか?『祖父』から『祖母』への思いは対照的なものではないか?『祖母』の実際の性格とかけ離れた『大声』という態度は、『祖母』の想いが憑ったことの影響とは考えにくい。『声色』だけが『祖母』に影響されたのであるなら、それは強い思いがあったと言えるのだろうか?本当は『祖父』は『意図的』に『祖母』の『恩念』と『反発』したのでは?『孫』に『世界の危うさ』を『警告』していたのかもしれない。どれだけ足掻こうと『生きている祖父』はもういない。又、一度も『両親』は話に登場していない。『葬式の帰り』であるにも関わらず、である。『両親』はまだ生きているのだろうか?既に亡くなっているのではないか?一体誰の手によって?『両親』の『失踪』と『祖父』の『死』は偶然なのか?『巧妙』に仕組まれたもので『��』は次の『エモノ』を狙っていることはないと断言できるのか?今後『ワタシ』を護る味方はまだ『現世』残っているのだろうか… END